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対日飢渇作戦の断面…関門海峡での米機雷爆破処理に思う

 
今日(8/13)午前10時半、関門海峡の早鞆瀬戸で見つかった米軍投下機雷の爆破処理が行われた。
 
読売新聞 8131314分配信記事↓
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轟音とともに巨大な水柱…下関沖で機雷爆破
 山口県下関市沖で見つかった機雷の爆破処理が13日午前10時半、関門橋から北東約6キロの水中で行われた。
 午前9時過ぎから爆破地点の500メートル圏内で船の航行や停泊が禁止されたが、門司海上保安部は「関門航路から外れており、海上交通に影響はほとんどない」と説明している。
 処理は海上自衛隊下関基地隊(下関市)が担当。爆破地点から約300メートル離れたゴムボートの上で、隊員が爆破スイッチを押すと、轟音(ごうおん)とともに、高さ100メートル超の水柱が上がった。
 関門航路そばの下関沖の海底で機雷1個が見つかったのは6月29日。長さ約2メートル、重さ約900キロで、太平洋戦争時に米軍の爆撃機B29が投下したものとみられる。航路や沿岸住民への影響を防ぐため、8月12日に浮きをつけて約4キロ先の爆破地点まで掃海艇で引航していた。(以上引用)
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これは19453月以降に米空軍のB29爆撃機が投下したMK25機雷である。今回、それが68年の時を経て、まだ“生きていたことに驚くと共に、米軍の「対日飢渇作戦」が如何に凄まじい威力を発揮したかという事を再認識させられた。
 
大東亜戦争末期に我が国の継戦能力が著しく低下した最大の理由は、この「対日飢渇作戦」のためであった。すでに多くの識者が指摘しているように、広島、長崎への原爆投下が行われなくとも日本の継戦能力は「対日飢渇作戦」で著しいダメージを被っており、降伏は時間の問題だったのである。
 
日本の軍事能力低下と戦争経済の破綻を目論んだ米軍の作戦は、開始時期順に下記の3点に集約される。
 
  潜水艦、航空機による海上交通路の遮断(通商破壊戦)
戦略爆撃機29による軍事拠点・生産拠点爆撃と都市無差別焼夷攻撃
  日本本土および朝鮮半島沿岸の港湾への大量機雷敷設による航路封鎖
 
 
①については、日本側も戦時経済の維持のための海上交通路確保、すなわち「海上護衛戦」が重要であることを認識はしていた。しかしながら日本海軍の戦略思想の中では「海上護衛戦」は傍流に属するものであり、専門の部隊編成は敗色が見えてきた昭和18年になってからという遅さであった。また、主に米海軍潜水艦の攻撃による船舶の喪失トン数が予想以上であり、せっかく南方の戦略物資を確保したというのに、それを日本本土へ輸送することが困難になっていった。
 
②は皆様ご存じの通りで、日本側の防空能力の低さ(個々の航空部隊、搭乗員の技量と戦意は別として)が顕著に現れた。終いには「本土決戦に備えた航空温存策」という名目で迎撃すらしなかった(なんと命令で禁じた!※)から、調子に乗った米軍は丸腰のB29焼夷弾を満載して全国の地方都市を焼き尽くしたのである。
 
(※昭和20年7月、陸軍飛行244戦隊の戦隊長・小林照彦少佐は「本土決戦のため戦力温存、出撃禁止」の命令が出ていたにもかかわらず、来襲した米軍機を「戦闘訓練」と称して迎撃した。そして敵機多数を撃墜する戦果を挙げたのだが、命令違反のかどで軍法会議にかけられそうになった。その小林少佐を救ったのは、「よくやった」という天皇陛下昭和天皇)からの御嘉賞であった。)
 
そして決定的だったのが③の機雷封鎖である。
対日飢餓作戦(Operation Starvation)と称する機雷投下作戦は、昭和20327日に下関海峡の西入口および周防灘へ550トンの機雷が投下されたのを皮切りに、8月15日まで46回行われた。機雷総数は 12,135 個、そのうち日本沿岸には11,277 個が投下された。この機雷戦によって日本の戦時経済はズタズタに寸断され、干上がってしまったのである。
 
特に、本州と九州を結び大陸~瀬戸内~関西の海上物流の鍵となる関門海峡に投下された機雷総数は、4,990 個。なんと対日投下機雷の4割を占めている。
 
この機雷投下は軍事作戦にも甚大な影響を及ぼした。327日から43日までに関門海峡から周防灘にかけて投下された機雷の掃海が進まなかったために、呉軍港に停泊していた戦艦『大和』以下の第二艦隊が沖縄特攻作戦を実施するに当たって関門海峡経由で佐世保へ移動するという計画が不可能となったのである。その結果、『大和』は豊後水道を南下して東シナ海へ進み、米軍機に捕捉されて撃沈されたのは周知の事である。
 
戦後、我が国に調査のため訪れた米戦略爆撃調査団は、日本の敗因について報告書の中で以下のように述べている。
 
「日本の根本的な敗因は、日本の戦争計画の失敗である。日本は短期戦に賭けたが予想がはずれ、その貧弱な経済をもってはるかに優勢な10倍以上の経済力をもつ強大な国家、アメリカと長期にわたる対抗を余儀なくされたことにある」
 
今日爆破処理された関門海峡の残存機雷は、大東亜戦争の敗因が軍事面だけでなく、戦時経済の破綻という経済面に拠るところ大であった事を私たちに物語っているのである。
 
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