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ボブ・ディラン訴追の欺瞞~クロアチア、セルビアの民族対立

 
数々の名曲で一世を風靡した歌手ボブ・ディラン氏がフランス在住クロアチア人団体に告訴され、さらに仏司法当局に刑事追訴された。クロアチア人をナチス・ドイツになぞらえた発言をした…というのが、その理由だという。
 
しかしそれは、天に唾するが如き言いがかりではないだろうか?
 
読売新聞1231057分配信記事↓
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民族差別発言でボブ・ディランさんを刑事訴追
 AFP通信によると、米国人歌手ボブ・ディランさん(72)がクロアチア人をナチス・ドイツになぞらえ、憎悪をあおる発言をしたとして仏司法当局に刑事訴追された。
 発言は昨年、米誌ローリングストーンのインタビュー記事に掲載された。ディランさんは、米国の人種問題に触れ、「奴隷主や(白人至上団体のクー・クラックス)クランの血が流れていれば、黒人には分かる。ユダヤ人にナチスの血が分かり、セルビア人にクロアチア人の血が分かるように」と述べ、在仏クロアチア人団体が告訴していた。
 仏では人種や民族に基づく憎悪の扇動は刑事罰の対象となり、ディランさんは先月、公演のため訪仏した際、当局の事情聴取を受けたという。クロアチア人とセルビア人は1990年代のユーゴスラビア紛争で激しく対立した。(パリ支局 三井美奈)
(以上引用)
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5年前のコソボ独立問題で改めてクローズアップされた、旧ユーゴスラビアにおける民族対立。特にセルビアミロシェビッチ政権による十数年前の蛮行“民族浄化”がまるでセルビア人のお家芸のように喧伝されているが、遡れば第二次世界大戦の間、ドイツ占領下のユーゴスラビアセルビア人に対して“民族浄化”を行ったのがアルバニア人クロアチア人であった。
 
<旧ユーゴ民族浄化”の歴史
 
この“民族浄化”は歴史的にバルカン半島で頻繁に行われた。特にオスマン・トルコの支配以降、入り組んだ民族対立・宗教対立が異常な殺人“文化”を生み出したのである。
 
あまり古い例を出しても検証が難しいので、直近で大量の残虐殺人や拷問が繰り広げられた第二次世界大戦期の例を見てみよう。
 
オーストリア・ハンガリー帝国の解体によって1918年生まれたセルビアクロアチアスロベニア王国(19291945ユーゴスラビア王国)はセルビア人主導の国家だったので、他の民族、特にクロアチア人は当初から不満を持っていた。
 
一方、第二次世界大戦が始まりソ連攻撃を企てていたヒトラーは、ハンガリーやブルガイア、ユーゴなどのバルカン諸国を政治工作により枢軸側に引き入れて、背後を安定すべく画策していた。
 
しかしムッソリーニ率いるイタリアがヒトラーに何の相談もなく19401028日、突如進駐先のアルバニアからギリシャに軍事侵攻するという暴走を始めたのが、ケチのつき始めであった。
 
イタリア軍16万の大軍で攻め込んだものの、ギリシャ軍の反撃で12月には逆にアルバニア領の三分の一まで占領されてしまった。しかもイタリア軍の惨めな敗北をきっかけに、親ドイツ政権だったユーゴスラビアでクーデターが発生し反独政権が誕生。
 
ドイツ軍は仕方なくイタリア軍の救援に乗り出し、対ソ作戦用の装甲部隊をユーゴ、ギリシャ戦に転用してバルカン全域を制圧した。このため対ソ開戦が遅れ、モスクワ攻略に失敗する原因となったのである。
 
ドイツにとっての災厄はこれだけに止まらず、バルカン半島の治安維持のために相当の兵力を割かれることになってしまったが、これが悲劇だった。
 
セルビアクロアチアは親独の民族主義団体「ウスタシャ」(その実態はファシスト団体で、ナチスそのもの)が独立宣言してドイツと同盟を結んだ。そしてイタリア軍が支配したスロベニアモンテネグロ、ダルマティア、親独政権が成立したセルビアでは、ユーゴ共産党のチトー率いるパルチザン部隊が跳梁跋扈し、ドイツ治安部隊と衝突したのである。
 
チトーのパルチザン部隊は投降したドイツ兵を捕虜として遇するどころか、東欧伝統の拷問・処刑、つまり目玉を抉り取る、手足を切断する、耳や鼻、性器を削ぐ、杭で肛門から串刺しにする等々…で始末した。
 
ドイツはユダヤ人虐殺で悪名高いヒトラー武装親衛隊(SS)を投入したが、そのSS隊員たちまでもが、ユーゴよりも悲惨なはずの東部戦線(戦死率が高かった)に転属を希望したという惨状を呈した。
 
対抗するクロアチア人やアルバニア人による、セルビア人やパルチザンへの残虐行為も惨状を極めた。セルビア側は4年間で70万人以上虐殺されたと主張しているが、クロアチア側も同数が虐殺されたと主張しており、真相はまだ解明されていない。大戦後の1947年に開かれた連合軍のユーゴ戦争犯罪法廷では、ドイツ軍将兵達までがユーゴ人同士の残虐行為について証言したほどである。
 
チトーのパルチザン部隊はゲリラ戦の残虐性を通常戦にまで持ち込んだ。ソ連軍とパルチザンにより194410ベオグラードが陥落した際に捕虜となったドイツ軍守備隊約3万名は、ほとんど全てが上記の方法で殺害された。
 
1945年5月、ドイツ降伏によってドイツ南東方面軍の各部隊はソ連軍に投降したが、ほとんどがシベリア送りとなり、パルチザンに捕らえられた者は悲惨な末路を辿った。またギリシャからドイツ国境近くまで長躯撤退したドイツE軍集団は、イタリア半島を北上した西側連合軍に投降したにもかかわらず、パルチザンに引き渡された。そして兵員175千名のうち8万名が至るところで虐殺され、残りは飢餓のなかで強制労働に狩り立てられたのである。
 
治安部隊は勿論のこと、虐殺行為に関わりの無かった戦闘部隊のドイツ軍将兵への報復がこのような有様であるから、当然ドイツ側のクロアチア人やアルバニア人らがただで済む筈がない。その殆どがまさに“民族浄化”されてしまった。それを逃れてアメリカ軍、イギリス軍、ソ連軍に投降した者もいたが、各国軍は彼らをパルチザンに引き渡してしまった。その後の末路は言うまでもない。
 
ナチスに協力したクロアチア人>
 
前述のナチス武装親衛隊に関する資料を読めば、大戦末期のドイツ軍は史上初の大規模な多民族軍団だったことがよく判る。そもそも武装親衛隊Waffen-SS)とはヒトラーの親衛隊員から成り、本来はナチス・ドイツアーリア人種優性信仰とゲルマン民族優越思想を基に、優秀かつ家系的にも純粋のドイツ人が志願入隊するエリート組織であった。しかし戦争の長期化で人員不足という大問題に直面し、人種論争を棚に上げて外国人を編入せざるを得なくなったのである。
 
ただしこれはヒトラーのオリジナルではなく、原型は、ナポレオン1世が野戦の切り札として投入したエリート部隊『老親衛隊』(La Vieille Garde)である。そのナポレオンの親衛隊には、ポーランド人部隊、オランダ人部隊、エジプト人トルコ人・シリア人・グルジア人などの混成部隊が存在したが、大戦末期のドイツ武装親衛隊90万人の半数以上が非ドイツ人で構成されており、ヒトラーは外国人の編成までナポレオン流をコピーしたと云えるだろう。
 
ドイツ軍はバルカン半島を制圧すると、セルビア人に反感を持っていたアルバニア人クロアチアボスニア)のイスラム教徒を武装親衛隊編入し、アルバニア人兵士主体のSS21武装山岳師団「スカンデルベク」、クロアチアボスニアイスラム教徒が主体のSS13武装山岳師団「ハンジャ」、SS23武装山岳師団「カーマ」を編成した。さらにドイツ国防軍の所轄として、クロアチア人師団(第369歩兵師団、第373歩兵師団、第392歩兵師団)まで編成している。
 
これらの部隊はドイツ軍に比べて戦闘力、士気が劣っており、主に対パルチザン戦に使用された。特にアルバニア人部隊は問題部隊で、1944コソボにおいて1万人以上のセルビア人を虐殺するなど“民族浄化”作戦には活動したものの、1944年秋以降ドイツの敗勢が明らかになると脱走する者が相次ぎ、ドイツ降伏まで戦った者も殆どパルチザンに捕まり虐殺された。
 
クロアチアイスラム教徒部隊も対パルチザン戦に投入されたが、ギリシャ正教セルビア人に対する反感も重なり、セルビア人中心のパルチザンおよび一般市民への暴虐ぶりが甚だしく、無秩序かつ虐殺、略奪事件を多数起こしている。加えてその士気は低く、ドイツの敗色が濃くなると脱走者が続出、反乱事件まで起きている。さらにイスラム教徒ゆえ訓練中も1日3度のアラーへの祈りを欠かさなかったため、慣れないドイツ人将校達との対立が絶えなかったという。彼らもドイツ降伏後、殆どパルチザンにより虐殺されている。
 
以上のようにボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やコソボ紛争の残虐性は、直近では第二次世界大戦に由来しているが、遡れば第一次世界大戦オスマン・トルコとの確執にまで辿り着く、根の深いものである。とても我々日本人には窺い知ることのできない怨念が渦巻いている。
 
その歴史を知る者ならば、冒頭のべたように「ボブ・ディラン氏がクロアチア人をナチス・ドイツになぞらえた」云々で告訴するという行為が、まさに天に唾するようなものであることは十分理解できるはずだ。なんでもかんでも「ナチス・ドイツ」を引き合いに出して非難する、告訴するというのは、不誠実なやり口である。
 
さらにフランス司法当局も、ナチスユダヤ人迫害と当時の仏国民の関わりについて「なかった」ことにしたいようである。これもまた、史実に向き合おうとしない姿勢ではないだろうか。
 
(参考資料)
パウル・カレル著、『捕虜 : 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』
: 学習研究社2001
 
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