賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

無駄な存在=パチンコ中毒患者

 
汎そ、この世の中に存在する事象には、何かしらの意味があるものである。一見すると無駄なようなものにも「無用の用」と言って、思わぬところで生きてくる時がある。
 
「賭博」という事象は、単に射幸心を煽る“ゲームと捉えれば何ら価値を見出せないものだろうが、“勝負という点から捉えると実に含蓄の深いものとなる。
 
以前にもどこかで書いた記憶があるが、「賭ける」という行為は、人間にとって欠かすことの出来ないものである。個人でいえば就職や結婚もその範疇に入るだろうし、会社経営ではプロジェクトの成否や新分野への参入、政治家にとっては選挙と政策実施後の成否、そして国家レベルでの最たるものが「戦争」という事になるだろう。
 
しかし孫子計篇の冒頭言に曰く、
「兵は国の大事なり。 死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり」
戦争は国家の一大事であって、国民の生死、国家の存亡が係っているから、その実行についてはよくよく考えねばならない)とあり、また
「算多きは勝ち、少なきは勝たず」
とも書かれているように、すべての戦略を実行するに際して必要なのは「情報収集」と「分析」、そして冷徹な判断という合理性の追求である。そこにあるのは、「賭け」の部分を極力排除しようとする姿勢と云えよう。
 
あの『ゴルゴ13』、デューク東郷の仕事に「賭け」の領域は存在しないに等しい。つまり依頼された仕事に番狂わせが生じないだけの徹底した調査と対策が講じられているからである。
 
ところが、そうは言っても世の中には、計測不可能な部分が数多く残っている。
 
例えば金融では、現代投資理論を駆使したヘッジ・ファンドが意外にあっけなく潰れるのは何故か。また「リーマン・ショック」の元凶であるリーマン・ブラザーズのように、多数の優秀なアナリストを擁しながら破綻してしまう会社もある。
 
政治家にとっては選挙が「戦争」、時流に乗った一発勝負は長続きしない。地歩を確実に固めて、少しでも「賭け」の部分を減らしてゆく事が勝敗を分けるのは誰しも判っているが、それでも番狂わせが起きるのは皆さんご承知のところである。
 
つまり「賭ける」という行為は計測困難なものに挑むという事であり、極めて人間らしいものではないだろうか。そうであるならば人生のプラスアルファの部分で勝ち抜く能力、所謂「勝負強さ」を「ギャンブル」という事象を通じて学ぶのも、また有意義な事である。
 
私がマカオで賭博を始めたのもそんな理由からであった。海外のカジノを選んだのはイカサマが少なそうだったから。そして「運」だけでなく多少の「技術」と「読み」が必要となるカードゲーム、特に「スタッド・ポーカー」や「ブラック・ジャック」を主にプレイするようになった。
 
ギャンブルは勝ってなんぼの世界だが、実は「金儲け」よりも勝負の流れ、「運」の流れを読むのが面白い。そして、それを自分のものとするためには、手前のカネで勝負する。それがギャンブルを通じて「勝負強さ」を学ぶ秘訣であろう。
 
所謂『良識ある人々』から顰蹙を買うのは承知で断言させてもらえば、「勝負強く」ありたいと願う人にとって勝負事、そして賭け事は絶対に必要だと思う。
 
そこには人間の根源的な強さを呼び覚ますものがある。但し私が対象とするのは、スポーツ選手、囲碁・将棋の棋士などの『プロ勝負師』や、あくまでも「勝負強く」ありたいと願う人たちである。国民全員に勧めている訳ではない。
 
更に言うなら、女子供までをギャンブルに誘い込む奴は外道もいいところ。そんな博打打ちがいたとしたら、クズの極致と言えるだろう。最近では「カジノ法案」を通したいためか、児童・生徒にまで「正しいギャンブル教育」を云々と説く輩がいる。それも「国民を保護するため当然」と、上から目線で。大阪の橋下とか、経済評論家の山崎某とかは、博奕打ちではないが「クズ」の同類ではないのか。
 
そして私がもうひとつ「クズ」と認定しているのが、パチンコ、パチスロに嵌まって生活費を使い果たす、更に借金漬けになる、そして中毒患者になってしまう人種である。
 
毎日新聞1291441分配信記事↓
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<生卵強盗>被害は虚偽 「パチスロで生活費使い果たし…」
 大阪府寝屋川市寿町のマンションで26日、無職の住人(34)が侵入してきた男に生卵を押し付けられ、現金10万円を奪われたとして、府警寝屋川署が強盗容疑で捜査していた事件について、同署は28日、被害申告の内容が虚偽だったと明らかにした。住人は事情聴取に対し「パチスロで生活費を使い果たし、家族に言えなかった。被害に遭ったことにしようと思った」と話しているという。同署は住人を軽犯罪法違反(虚偽申告)の疑いで調べる。(以上引用)
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中毒患者多数のパチンコ、パチスロを「ギャンブルと認定せよ」と声を上げ、そして賭博罪を適用せよと排斥運動を行っている憂国の人々には申し訳ないのだが、私は根本的にパチンコ、パチスロが「ギャンブル」だと考えていない。
 
そもそもパチンコ、パチスロとは「ギャンブル」の名に値しない、人生の無駄と言える存在だ。パチ系機械メーカーのプログラム自体が初めから、メーカーやホールが絶対儲かるようになっているのだから、「賭け」の要素など皆無。従って冒頭に述べた「無用の用」にも該当しない代物である。
 
こんなのを「ギャンブル」認定する意味はまったく無い。
 
そして、くだらないパチンコ、パチスロ中毒患者も無駄な存在。こんな人々はパチンコ、パチスロのせいで人生が狂ったのではない、何をしても駄目なのである。
 
近々、いわゆるカジノ法案が通って「IR=統合型リゾート」が建設されるのであれば、日本中の駅前にあるパチンコ・パチスロホールを全てIRに集結させ、施設内で好きなだけ「三店方式」による換金をやらせればよい。
 
但し、その代わりに全国の駅前一等地にあるパチンコ・パチスロホールは、土地ごと国で没収する。そして中毒患者はIRの一角に「更生センター」を作って、治療と同時に世間への晒しものとするのがいいだろう。
 
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