賭狂がゆく

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今月の唄:土方歳三『燃えよ剣』

 
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(東京都日野市・高幡不動尊境内の土方歳三像)
 
♪ 春まだ浅き壬生の朝 「誠」一字に集いたる 
益荒男(ますらお)たちの雄叫びが 燃えよ我が剣 我が命
 
(NETテレビ(現・テレビ朝日)時代劇『燃えよ剣』主題歌)
作詞:結束信二
作曲:渡辺岳夫
 
時代劇燃えよ剣新撰組副長・土方歳三を描いた故・司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』のドラマ化作品である。
 
自分の小説のTVドラマ化に難色を示していた御大・司馬遼太郎が主人公の土方に扮する俳優・栗塚旭の羽織袴姿を見て、「あんた…土方歳三そのものや…」と絶句、ドラマ化を快諾したというエピソードを持つ名作。
 
思い返せば筆者も小中学生の頃、本編と再放送を見て以来、新撰組に触発されて剣道や居合道を始めるようになったのだった。
 
● その新撰組が一躍名を挙げたのが皆様ご存知、元治元年(1864)6月5日の池田屋事件である。
 
文久3年(1863)8月18日の政変で京都を追われた長州藩尊皇攘夷派浪士が巻き返しのため計画したのが、京都御所に放火・混乱に乗じて佐幕派大名らを暗殺し、孝明天皇を長州に拉致するという大規模テロであった。
 
尊攘派志士・古高俊太郎を捕縛、その情報を得た新撰組が浪士集会場所の「池田屋」に踏み込み、浪士側は即死者9名、逮捕者20名以上を出して壊滅した。
 
特に吉田松陰門下の吉田稔麿、杉山松助や熊本の宮部鼎蔵ら、「殉難七士」と呼ばれる有力志士が斬られた事が尊攘派に大打撃を与え、長州藩強硬派による同年7月19日の禁門の変を誘発したのである。
 
土方歳三の冷酷さを示す代表としてよく挙げられるのが、古高俊太郎を自白に追い込んだ過酷な拷問であろう。二階から逆さ吊りにし、足の甲へ五寸釘を打ち、足の裏の貫通した釘先に蝋燭を立てて火をつけるというSM的拷問を敢行した土方だが、現存する写真の風貌からは想像も出来ない手法である。
 
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土方歳三への同時代の人の評価はまちまちだが、新撰組結成から鳥羽伏見の戦いまでの土方はまさに新撰組の「鬼副長」で、組織維持のために冷酷で徹したのだろう。しかし、総じて幕府瓦解から函館で戦死するまでの最後の一年間は人間が丸くなったようである。
 
「生質英才にて飽迄剛直なりしが、年の長ずるに従い温和にして人の帰する所赤子の母を慕うが如し」
 
これは最後まで戦った新撰組生き残りの中島登が書き残した一節。
 
実は筆者、靖國神社崇敬会の会員ではあるが、所謂「勤皇の志士」という人々よりも、新撰組や幕府、会津藩、長岡藩、東北諸藩の人々への心情的共感が強いのである。
 
明治維新は我が国が近代国家へ「急速に」脱皮するために不可欠な政変であった。また維新なかりせば、西欧列強と交わされた不平等条約の改正は大幅に遅れたであろうし、日本そのものが植民地化された可能性も高かった。
 
しかし滅びゆく徳川幕府に殉じて信義を貫いた新撰組や、薩長主導の維新劇の生け贄となった会津桑名藩らの存在があればこそ、日本の「士道」精神が命脈を保ったのではないだろうか。
 
明治に入って福澤諭吉は、「立国は私なり、公にあらざるなり」という台詞から始まる『痩我慢(やせがまん)の説』で、旧幕臣ながら明治新政府の高官になった勝海舟榎本武揚を痛烈に批判している。「痩我慢」とは即ち、武士の意気地という意味である。
 
「然るに爰に遺憾なるは、我日本國に於て、今を去ること二十餘年、王政維新の事起りて、其際不幸にも、此大切なる瘠我慢の一大義を害したることあり。
 
即ち徳川家の末路に、家臣の一部分が、早く大事の去るを悟り、敵に向て曾て抵抗を試みず、只管和を講じて、自から家を解きたるは、日本の經濟に於て一時の利益を成したりと雖も、數百千年養ひ得たる我日本武士の氣風を傷ふ(そこなう)たるの不利は、決して少々ならず。得を以て損を償ふに足らざるものと云ふ可し」
 
「立国の要素たる瘠我慢の士風をそこなうたるの責は免かるべからず…」
 
勝や榎本にはそれぞれの言い分があったろう。しかし福澤は維新後の彼らの行状の中に、「士道」衰退の兆しを見たのではなかろうか。
 
冒頭の時代劇燃えよ剣で貫かれているテーマは、「誠」。誠とは、私利私欲のない本当の心である。土方の関心事は私利私欲や栄達ではなく、「武士」とは、「男」とは如何にあるべきか…という点だった。「勤皇の志士」は多いが、生き残って維新後に栄達の末、醜聞を残した者もまた多数いる。
 
現代に於いても、「保守」を標榜しながら行動・思想はまるで亡国左翼そのものの輩や、己の利権だけでなく後援会関係や献金支援者の利権で特亜などの他国を利する議員らが掃いて捨てるほどいる。科学は進歩しても、人間の道徳は逆に退化しているとしか思えない状況を呈しているのだ。
 
佐幕派側でも明治維新で簡単に寝返った者は多いが、土方歳三は節を曲げず己の「士道」を貫いた、おそらく日本最後の武士(もののふ)。
 
私は土方歳三を尊敬する。
 
♪ 京都(みやこ)の風にふと向けば 吹雪と花の乱れ飛ぶ
  明日は屍(かばね)を晒すとも 燃えよ我が剣 わが命
 
  本エントリーは初出:平成2064日イザ!ブログのエントリー(既に消滅)を修正加筆したのもです。
 
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