広島市で開催された原爆死没者慰霊の平和記念式典。おそらく次の長崎でも、相も変わらず繰り返されるであろうフレーズが、
「戦争は絶対悪、平和が一番」
こんな使い古された、陳腐な呪文の繰り返しには飽き飽きしてしまう。
そもそも「平和」を「戦争」の対義語として定義していること自体が間違っている。「戦争」の対義語は「戦争状態ではない」。クラウゼヴィッツ的に云えば、「戦争」とは絶対悪でも何でもなく、政治的交渉の一手段に過ぎない。
以前書いたように、日本の軍事能力低下と戦争経済の破綻を目論んだ米軍の作戦は、開始時期順に下記の3点に集約される。
① 潜水艦、航空機による海上交通路の遮断(通商破壊戦)
② 戦略爆撃機B29による軍事拠点・生産拠点爆撃と都市無差別焼夷攻撃
③ 日本本土および朝鮮半島沿岸の港湾への大量機雷敷設による航路封鎖
特に③の機雷封鎖は「対日飢餓作戦(Operation Starvation)」と称され、凄まじい威力を発揮した。昭和20年3月27日から8月15日までに投下された機雷総数は 12,135 個、そのうち日本沿岸には11,277 個が投下された。この機雷戦によって日本の戦時経済はズタズタに寸断され、干上がってしまった。
つまり広島、長崎への原爆投下が行われなくとも、日本の継戦能力は「対日飢渇作戦」で著しいダメージを被っており、降伏は時間の問題だったのである。
そんな中、アメリカは広島、長崎になぜ原爆を投下したのか。それは昭和20年の時点で日本側には、核兵器もしくは同等の破壊兵器を米本土へ報復攻撃する能力が失われていたからである。決してアメリカが自己正当化のために主張している、本土決戦回避のためとか戦争早期終結のためとかでは無い。
従って、人類史上唯一の戦争被爆国である我が国に核兵器廃絶を実現していく責務があるという考えはおかしい。むしろ唯一の被爆国である故に、報復のための核武装の権利を既存核保有国よりも優先して有するのではないだろうか。
他に広島、長崎の教訓を挙げるとするなら、迎撃能力の必要性と、迎撃を実行することの大切さである。昭和20年夏前には、日本は防空戦力の消耗もさることながら「本土決戦に備えた航空温存策」という名目で米軍機を迎撃しなかった(なんと命令で禁じた)ので、調子に乗った米軍は丸腰のB29に焼夷弾を満載して全国の地方都市を焼き尽くした。
当然、偵察目的と思われる単機あるいは少数機のB-29に対して、それらを殲滅する迎撃活動を行わなかったので、その行動を読んだ米軍は数十回にも及ぶ「模擬原爆」投下と本番の2回、少数機で侵入した訳である。
その歴史を知ってか知らずしてか、現在日本の尖閣諸島領海内に侵入を繰り返しているのが中国である。対する我が国は海保が警告を発しているだけで、何の実力行使手段もとっていない。しかし侵入者を迎撃し、殲滅する行動を徹底しなければ、より大きな災厄を招くであろうことは、広島・長崎の例で明らかである。
「平和憲法の下で69年間戦争をしなかった事実は重い」などと云う世迷言をちんたら述べている場合ではないのだ。
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