賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

香港に始まり、香港に終わるか

 
私にとって年末恒例の香港・マカオ滞在。改めて今年を振り返ると、香港を訪問すること8回に及ぶ。この他にも3月にハワイ、4月にシンガポール、5月に台湾を訪問したが、結局は香港との付き合いが長くなってしまった。
 
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(昨日、インターコンチネンタル香港・ロビーラウンジからの眺望)
 
そして香港民主派との直接的な関わりは、1月1日に行われた民主的選挙実現を訴える大遊行(デモ)だった。
 
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2014.1.1香港島銅鑼湾のそごう前にて。筆者撮影)
 
この時に急進民主派の政治団体『熱血公民』の運動員から機関紙をいただき、少々立ち話をした。のちにその代表である黄洋達氏、陳秀慧氏と会談することになるのだが、あの時点ではまさかそんな事態になるとは思いもしなかった。
 
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(『熱血公民』の機関紙「熱血時報1114号)
 
強いインパクトを受けたのが、8月に香港大学を訪問した折のこと。民主派の学生と話し込み、香港・マカオでの民主派活動や台湾での「ひまわり」学生活動などについて意見交換した。この時に、彼らを支援しなくてはならんなと心に決めたのである。
 
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(同大学図書館前の掲示板にて。「今日台湾、明日香港」!)
 
そして運命の9.28、『雨傘革命』が始まった。既に日本会議関係者による香港視察を決めていたので、外務省に中山泰秀・外務副大臣を訪問し、外務省の御尽力で香港の民主派最大政党「民主黨」議員との会談をセッティングして頂いた。
 
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10月、右から筆者、「民主黨」議員、党首の劉議員、一人置いて栗山都議)
 
もっとも駐香港日本領事館にお世話になるので、不偏不党の立場から親中派最大政党「民建聯」議員との会談も入ったが、これはこれで非常に参考になった。
 
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(同じく10月、「民建聯」主席・譚耀宗議員(左から3人目)と)
 
そして香港島の繁華街・銅鑼湾(コーズウェイベイ、現地発音は「とんろーわん」)に位置する常宿の「リーガル香港ホテル」の先、「そごう」前も、民主派に占拠されていた。
 
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1013日、銅鑼湾占拠地にて。折り鶴の飾り付けが素晴らしかった)
 
ところが11月に再訪したところ、この銅鑼湾占拠区は縮小されていた。幹線道路のHennessy Road香港島西行きの片側路線が開放されており、バスが走り回っている。
 
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1115日、銅鑼湾占拠地にて)
 
そして1126日、九龍半島の繁華街・旺角(モンコック、現地発音は「うぉんこっ」の民主派占拠地域が「清場」、つまり強制排除された。続いて1211日、香港民主派最大の占拠区である金鐘(アドミラルティー、現地発音は「がむちょん」) が強制排除され、最後まで残った銅鑼湾占拠区も1215日に強制排除された。ここに79日間に及んだ「佔領香港」は一旦終了したのである。
 
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(現在の銅鑼湾・「そごう」近く。いつもの光景に戻った)
 
以前にも書いたが、日本の保守派にとって香港の現状は「どこか遠い国の出来事」に過ぎないのかも知れない・・・と感じている。数ある保守系ブログさんたちも単発記事しか出していないのは、実は「台湾と比べて、よく判らないや」というのが本音ではないだろうか?
 
もちろん、たまたま香港との縁が深い私が、偉そうにそれに対してどうこう批判するつもりはない。しかし「義」を重んじるのが日本人の特徴のひとつであるのなら、「男一匹」俺がやらずに誰がやる、という心意気で今後も支援を続けてゆきたい。それが日本人としての矜持であると思う次第である。
 
香港要真普選、中国要真民主!
 
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