賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

生きて虜囚の辱を受けず~『戦陣訓』を対「IS」へ

 
イスラムと神の名を騙る極悪外道集団「IS」(=Islamic State、俗称イスラム国」)。
 
この外道たちに「戦時捕虜」という概念は無用である。同じく連中に捕まった諸外国の将兵は勿論のこと、民間人も「ISの捕虜」と称するのは不適当である。「捕虜」とすると、「IS」がテロリスト集団ではなく一定の主権を有する交戦団体であると認定することになる。
 
従って「捕虜」ではなく「人質」「虜囚」と称するべきなのである。
 
ところが「テロリストとは一切交渉しない」と大見得を切っている米国は既に人質交換に応じており、これを「戦時の捕虜交換」と言い逃れしている。この期に及んで見苦しい事この上ない。
 
これに関連して、例の日本人人質やトルコ、ヨルダンで取材活動を続けているマスコミ関係者が忘れている精神がある。それは、
「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」
 
昭和16年に帝国陸海軍将兵へ通達された『戦陣訓』に曰く、
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陸訓第一号
 本書ヲ戦陣道徳昂揚ノ資ニ供スベシ
昭和十六年一月八日
陸軍大臣  東條 英機
~本訓 其の二
第八 名を惜しむ
 
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。
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この『戦陣訓』自体は、当時でも将兵たちの間での評価は低かった。陸海軍の下士官・兵として戦地に在った私の伯父たちは、戦後数十年経っても『軍人勅諭』は暗唱していたが、『戦陣訓』は誰一人として覚えていなかった。聞けば、たしかに覚えさせられたものの、戦地の将兵の間ではそんなものを馬鹿馬鹿しいと評価する風潮があったようである(但し陸海軍の別、部隊ごとの別で温度差があった由)。
 
ところが戦局敗勢に向かうと、特に「生きて虜囚の辱を受けず」という部分が強調されて、将兵の自決が相次いだ。ネガティブな評価を受ける最大の原因でもある。
 
斯かる悪名高い一節であるがしかし、現代の極悪外道集団「IS」に対する心構えとしては非常に頷けるものであることも確か。
 
例えばハイジャックで人質になったとかなら別だが、自分から戦地に、特に「IS」の如き犯罪集団に関わるのであれば、「生きて虜囚の辱を受けず」の精神を受け継いで、お国に迷惑をかけぬよう自らを律するべきではないだろうか。
 
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