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戦後70年:山本元帥と予科練~霞ヶ浦海軍航空隊

 
真珠湾奇襲攻撃を立案した山本五十六連合艦隊司令長官は、海軍航空隊育ての親として知られている。
 
 
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( 雄翔館(予科練記念館)前にある山本五十六元帥像。筆者撮影)
 
現在、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校の建っている場所(茨城県稲敷郡阿見町大字青宿1211)は、「予科練」で有名な「霞ヶ浦海軍航空隊水上班」、その後昭和15年より「土浦海軍航空隊」として少年航空兵養成の中核的施設であった。
 
山本元帥が大佐時代に霞ヶ浦海軍航空隊で副長および航空学校教頭などを勤めた由縁で、武器学校内の『雄翔館』(予科練記念館)前に銅像が建っている。
 
「海軍飛行予科練習生(予科練)」は昭和5年に発足。以来昭和20年までに全国で約24,000人の卒業者を輩出したが、その内18,564人が大東亜戦争で戦死された。
 
戦死率、実に77%・・・
 
数年前、予科練の合同クラス会に縁あって出席させて頂いたが、最後のクラスの生き残りの方が現在85,6歳である。高齢となった皆さんだが意気軒昂、「若い血潮の予科練の~♪」(若鷲の歌)と合唱する姿に、かつての帝国海軍魂をひしひしと感じた。
 
我が国は大東亜戦争に敗戦したものの、諸外国から舐められず復興と経済発展を果たした蔭には、
 
「日本人を怒らせ過ぎ、追いつめ過ぎると、何を仕出かすか判らないから怖い」
 
と世界中の人々が感じていた事も寄与している。その原因は大東亜戦争において、私たちの父祖と先輩方が善戦敢闘したためである。
 
先日の報道で映画監督の某氏(71)が「(英霊が)戦ってくれたから今の日本がある、なんて間違っている」云々と語っている記事があったが、それは自らの先輩方の事績と各々の人生、心情を手前勝手に否定し、自分たちは「戦後のいい子ちゃん」でいようとする馬鹿団塊の妄言でしかない。
 
大東亜戦争終戦70年の今年も暮れようとしている。当時の政府、陸海軍上層部による戦争突入および戦争指導への評価とは別に、祖国日本の危難に殉じ、また生き残って戦後復興と発展に尽力した先輩方の生き様・死に様を範としたいのである。
 
 
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(土浦海軍航空隊の絵葉書集・表紙)
 
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