現在、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校の建っている場所(茨城県稲敷郡阿見町大字青宿121-1)は、「予科練」で有名な「霞ヶ浦海軍航空隊水上班」、その後昭和15年より「土浦海軍航空隊」として少年航空兵養成の中核的施設であった。
戦死率、実に77%・・・
数年前、予科練の合同クラス会に縁あって出席させて頂いたが、最後のクラスの生き残りの方が現在85,6歳である。高齢となった皆さんだが意気軒昂、「若い血潮の予科練の~♪」(若鷲の歌)と合唱する姿に、かつての帝国海軍魂をひしひしと感じた。
我が国は大東亜戦争に敗戦したものの、諸外国から舐められず復興と経済発展を果たした蔭には、
「日本人を怒らせ過ぎ、追いつめ過ぎると、何を仕出かすか判らないから怖い」
と世界中の人々が感じていた事も寄与している。その原因は大東亜戦争において、私たちの父祖と先輩方が善戦敢闘したためである。
先日の報道で映画監督の某氏(71)が「(英霊が)戦ってくれたから今の日本がある、なんて間違っている」云々と語っている記事があったが、それは自らの先輩方の事績と各々の人生、心情を手前勝手に否定し、自分たちは「戦後のいい子ちゃん」でいようとする馬鹿団塊の妄言でしかない。
大東亜戦争終戦70年の今年も暮れようとしている。当時の政府、陸海軍上層部による戦争突入および戦争指導への評価とは別に、祖国日本の危難に殉じ、また生き残って戦後復興と発展に尽力した先輩方の生き様・死に様を範としたいのである。
(土浦海軍航空隊の絵葉書集・表紙)
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