賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

捏造百人斬りと偽物日本刀について


南京「百人斬り」は、当時の東京日日新聞(現・毎日新聞)が読者ウケする“武勇伝”記事を創り出したことが発端である。しかも、これは当時の日本軍部から要求された事ではなく、まったく新聞社による創作である。

しかし戦後になって毎日は、「この百人斬りは事実無根だった」(『昭和史全記録』19893月刊)と創作だったことを認めている。

ところが中国はこの記事の真偽を調べることもせず、記事に書かれた二人の日本人将校を処刑。そして現在に至るまで日本の残虐性の象徴として「南京百人斬り」を喧伝して来たのである。

悪名高い中国・南京の「大屠殺紀念館」に、
南京事件の際に107人斬った日本軍刀
が展示されているが、これはレプリカである。出所は台湾・台北の「國軍歷史文物館( R.O.C Armed Forces Museum)」に展示されている、錆びついた一本の日本刀。それは「南京大屠殺日軍軍刀と紹介されている。
 
 
イメージ 1
(撮影場所不明の写真を等身大に引き伸ばし、赤丸箇所に日本刀を固定。筆者撮影)

この「107人斬り軍刀」の真贋について、私は9年前に日本会議地方議員連盟のブログ、草莽崛起PRIDE OF JAPAN で論じている。
 ↓
2007412日付エントリー
 
そこでは主に向井少尉(当時)の佩刀「関の孫六兼元」を中心に述べたが、もう一人の将校、野田少尉(当時)の佩刀について補足したい。
 
ちなみに私は高校生の頃より居合道夢想神伝流)を嗜んでおり、同時にTV番組『開運・お宝鑑定団』にも時々出演されている「銀座刀剣柴田」さんなどの刀剣商、刀の研師さんらとのお付き合いが少々あり、日本刀に関わって37年経つ。
 
また記事を出した2007年8月に台北「國軍歷史文物館」を再訪。改めて現物を確認し、偽物であると確信した。
 
●さて、新聞記事では野田少尉の佩刀については「無銘(製作者不明)」となっていたが、南京戦後に野田氏が帰郷し、地元で講演した際に、所持刀は「波平」である云々と述べたという話を聞いたことがある。
 
「波平」とは薩摩の波平一派で、平安時代末期の波平行安を始め平安~室町時代に多数の刀工を輩出している。
 
しかし台北の展示刀は波平特有の“ゴリッ”とした雰囲気が無く、また既述の孫六兼元とも違っていた。地肌も幕末以降の現代刀、昭和期の刀のような若い感じであった。
 
この刀の柄に隠された茎(なかご)部分を露出するか、日本へ研ぎに出せば検証が進む筈だが、文物館側がそれをしないのは多分、検証すると困るからではないだろうか(再訪した際に館員に(英語で)それを説いたのだが、聞き流された)。
 
要するに「南京大屠殺」というプロパガンダが目的なので、細かいディテールは知ったこっちゃない…といった処だろう。
 
このように中共中華民国(国民党)の反日連中は、“初めに「大屠殺」ありき”というスタンスを今更変える訳にはいかない。嘘をさらに嘘で塗り固めるしか、彼らに残された道はない。
 
そして世界中の反日華人や馬鹿な左翼日本人ら、「百人斬り」を信じる(利用する)連中は跡を絶たないであろう。以前より述べているが、こちらも馬鹿げた論説はその都度潰してゆくだけである。
 
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國軍歷史文物館( R.O.C Armed Forces Museum
・地址 : 台灣台北市中正區貴陽街一段243100
・最寄駅:台北捷運(地下鉄)「西門」站台北車站(台北駅)から一駅目
下車後、総統府に向って徒歩7分ほどの場所
 
 
イメージ 2
 
ここは中華民国国防部が運営している。基本的に「中華民国」= 国民党率いる国府軍プロパガンダ的要素が強い資料館で、当然観光ルートにも入っていない。ただし支那事変当時の国府軍使用装備など珍しい展示品もあるので、軍事マニアは必見と云えよう。
 
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