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菅直人の今日の一言
■ 天災
Date:2004-10-23 (Sat)
昨日今日と愛媛、高知の台風被災地の視察。高知では堤防が波で破壊され、20トンを超えるコンクリートの塊が住宅に飛び込み、3名が亡くなった現場を見る。
9月にお遍路で歩いたところだ。波というより鉄砲水のような力で堤防や家を破壊。
(太字下線は筆者による)
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産経新聞1月10日配信記事↓
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天皇陛下が在位30年を節目として譲位を希望されていることを受け、政府は、平成31(2019)年1月1日(元日)に皇太子さまの天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号とする方向で検討に入った。国民生活への影響を最小限とするには元日の譲位が望ましいと判断した。譲位に伴う関連法案は、有識者会議の報告と衆参両院の論議を踏まえ、5月上旬にも国会に提出する見通し。譲位は「一代限り」として皇室典範改正は最小限にとどめる方向で検討を進める。(以下略)
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そこで歴代年号と改元について、以下のようにまとめてみた。
我が国は神武天皇の開闢以来、天皇125代を数える。その内、本邦の年号を持つ天皇は孝徳天皇以来90代である。最初の年号は「大化」元年(645年6月19日)、そして現在に至るまで計247回の改元が行なわれている。
この内、祥瑞・豊年祝い(「神亀」)・金や銅の献上(「大宝」、「和銅」、「天平感宝」)といった慶事による改元は、孝徳天皇の「白雉」元年(650年2月15日)から文徳天皇の「天安」元年(857年2月21日)まで計17回。
以前、当ブログの2013年1月3日エントリーで<“民意”から“神意”へ>の政治の転換を論じたことがあった。↓
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<“民意”から“神意”へ>
(中略)
現代人が例えば、自然現象や今回の発掘のような出来事などに“神意”を感じなくなってから久しい。非科学的だと言えばそれまでだがしかし、こういった突発イベントに関して様々な角度から思いを致すという事が大切なのではないだろうか。
現代ではよく「民意」、「民意」とマスコミが口にする。また私たち国民もそれを当然のように受け止めている。しかし民意とは尊重すべきものではあるが、それに媚びるものでは断じてない。
日本の歴史の屋台骨である神道の観点から見れば、政治とは、「まつりごと」とは、元々が神事である。為政者が為すべきは“神意”を伺い、世を治めること。
従って“民意”よりも上位にあるのが、“神意”である。
その本質が左翼政権であり屈中・媚韓が基本だった民主党が退場し、古代よりの名族・安倍氏の流れを汲む安倍晋三氏が首班になったのだから、是非とも“神意”を汲んだ政治への転換を図っていだきたい。国内外に敵対・抵抗勢力も多く、一歩一歩着実かつ安全策をとりながら進むべきではあるが、もう為すべきことはハッキリしている。
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為政者と国民とは別個のものに非ず、今世に日本人として生まれた民草一人ひとりにも、「神意」を伺うという姿勢が大切な筈である(先ず唯物論の撲滅が必要)。
そして為政者とは現政権のことだけを指すのではない。
窺い知ることが出来ないのは、今上陛下の慮りが「ご自身の譲位による“改元”で人心の一新を図る」処に有るか否か、そして「神意」を体現されようとしておられるか否か…ということ。
浅学非才の筆者が危惧するのは、「神意」を汲む姿勢も無い新年号=改元で、日本国が心機一転どころか更に困窮への道を辿るのではないかという一点なのである。
※参考資料:
正確性を期すため上記史料等を当たり、自家製「歴代元号一覧表」を作成して本エントリーを仕上げたため、5日間もかかってしまいました。今年は昨年よりもサクサクとブログエントリーを出すつもりでしたが、新年早々こんな有様です。
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