賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

辻元生コン祭り、まだあるネタ

 
“辻元生コン祭り”が国会でも取り上げられ、盛大になっている。それも、まさかの安倍首相による燃料投下で。
 
同時に「3つの疑惑」で、とうとう学園の小学校建設地に隣接する野田中央公園の件も露呈。これでマスコミは、関西における「 同和、在日、ヤクザ 」の三点セットに加えて産廃生コンの問題も、国民に報道説明するべきだ。最早この期に及んで「報道しない自由」の行使は許されることではない。
 
更に言えば、マスコミが報道説明すべきは日本国民だけでない。既に森友の件は全世界のニュースになっている。日本に対する変な誤解を生じさせぬよう、正しく全てを報道することはマスコミの義務である。
 
●さて、実は“辻元疑惑”は生コン関連だけではない。辻元議員の今迄の経歴の中で、どういう訳かマスコミがあまり報じていない部分がある。
 
それは民主党政権時代、東日本大震災直後に辻元議員が担当した「災害ボランティア活動」に関してである。
 
辻元氏は平成23 (2011)313日、東日本大震災により災害ボランティア活動担当の首相補佐官に就任。積極的に現地に赴き、ボランティア団体・NPO団体を糾合し復興支援を行った。
 
それ自体は評価に値するが、問題は「復興関連事業費」、すなわちカネに絡むものである。
 
筆者がこの事案を知ったのは2012年のこと、当時被災地に赴き災害対策ボランティアの一員として活動していたK氏が語ってくれたからであった。氏は辻元氏が社民党時代からの知己で、ある地方議員が共通の知人だったので、その縁で話を聞けたのである。
 
K氏曰く、「キヨミは変わってしまった…」
 
辻元氏の政治姿勢が変わったのは、鳩山政権下で国土交通省副大臣に就任した辺りだった由。決定的だったのは、その後社民が連立離脱した際に、民主党へ移ったこと。「権力」を行使することの快感を優先したのだろうか。
 
そして氏が災害ボランティア活動担当の首相補佐官だった頃、何が起きていたか。この内容を弊ブログで全て述べるには、時期尚早だと思うので書かない。
と言うか、書けない
 
何故かと言えば、定年退職までそろそろカウントダウンだというのに、娘がまだ高2(4月から)でいろいろと手がかかるので、ここであの森友学園の工事を担当した会社の社長さんのように“友愛”されるわけにはいかないからである。
 
「コンクリートから人へ」ならぬ
「コンクリートから人が!」では、洒落にならない。
 
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