賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

出生数・人口減少は問題なのか?①

 
2016年の出生数が初の100万人割れと云う。
 
日本経済新聞 63日配信記事↓
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出生数 初の100万人割れ 16年、出生率も低下1.44
厚生労働省が2日発表した人口動態統計によると、2016年に生まれた子どもの数(出生数)は976979人で、1899年に統計をとり始めてから初めて100万人を割り込んだ。1人の女性が生涯に産む子どもの数(合計特殊出生率)は1.44と前年を0.01ポイント下回った。マイナスは2年ぶり。出産適齢期の女性の減少が少子化に拍車をかけている。(以下略)
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誰もかれも「人口減=悪いこと」という前提で対応策を論じているが、果たしてそんなに悪い事なのだろうか?
 
もうかなり前だが、『せまい日本、そんなに急いでどこへ行く?』というセリフが流行ったことがあった。たしかに我が国は国土の73%が山地で、平野部の居住空間は限られている。その狭い地域に1億2千万人が近代的生活を営んでいる訳であり、歴史的な人口推移から考えると現在は“異常事態”ではないだろうか。
 
本邦初の人口調査は、『日本書紀』によれば崇神天皇12(紀元前86)に行われた。奈良時代までに「庚午年籍」や「庚寅年籍」が作成されたことが記録に残っており、歴史研究者の推定では約400万~600万人。そして1,000万人を超えたのが室町時代の由。
 
その後、江戸幕府が成立して安定期に入り、人口も増加していったと考えられている。幕府が初の人口調査を行ったのは8代将軍吉宗の時代の享保6(1721)、人口は約2,600万人であった。幕府最後の調査が弘化3(1846)、約2,700万人で、江戸期は概ね2,000万人~3,000万人で推移したようである。
 
幕末時の統計資料は無いが概ね3,000万人程度と見られる。そして明治維新を迎えると、人口は大きく動き出すことになる。明治5年(1872年)に作成された壬申戸籍によれば、総人口は3,311万人。そして日露戦争の明治37年(1904年)に約4,600 万人、大正15年(1925年)年には、約6,000万人と幕末時の2倍を数えるに至った。
 
第二次世界大戦時に減少はするものの、戦後復興の進展と同時に第一次ベビーブームで再増加する。昭和42年(1967年)に1億人を超え、平成15年(2003年)には遂に過去最多の1億2,760 万人となった。
 
今年は明治維新大政奉還1867年)から数えて150年である。つまり、たったの150年で日本の人口は4倍になったという事になる。考えてみればこの急激な人口膨張は、日本の長い歴史から見ればかなり異常であって、出生数の減少、人口の減少はむしろ常態に戻ろうとしている…と見ることも出来るのではないだろうか。
 
しかし、人口が常態に戻ることで困る者がいる。誰かと云えば、税収が減る政府、各自治体、そして財務省をはじめとする官庁である。
 
(つづく)
 
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