賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

平成異聞①バブルとクリスマス

 
思えば「昭和」は無茶苦茶な時代だったが、「平成」も振り返れば大概な時代だった。
 
例えば「クリスマス」という宗教的記念日、それが日本に於いて「男女がセックスする日」というイベント日へと顕著に変化したのは、たしかバブル期だったと記憶している。
 
28年前の平成元年(1989年)はバブル景気真っ盛りだった。会社では課長職以上の管理職が経費使いまくりでウハウハやっていた。客の接待に2次会3次会で高級クラブを使うのは普通、そしてタクシーチケットは使い放題。
 
隣りの部署の大先輩たちが「今回の粗利は1,000万円以上あるから、100万くらい使ったって大丈夫だろ?」などと話している。それも別段声を潜めるでもなく、ごく普通の会話で。そんな時代だった。
 
当時の筆者は単なる若手社員だったので自分の裁量で使える接待費も無く、たまに部課長の接待の御相伴にあずかる時しか「バブル景気」を実感できる機会が無かった。そして連れて行かれる先は、何故か錦糸町とか西葛西とかのクラブ。あのバブル期でさえ場末感漂う所が多かったものである。
 
メディアは「クリスマス・イブの夜は誰と過ごすか?」と扇情的な情報を流しまくっていた。また当時の若者たちも、それを当たり前のように受け入れていたのが多かった。彼女のいない者にとって、「クリスマス」という日は絶望感溢れるイベント…というのは大袈裟だが、昨今の「非リア充」よりも精神的に追い詰められていたのは間違いない。
 
当時の私もそんな一人だった。忘れもしないのが平成元年1225日(月)。河川の汚泥を特殊セメントで固化処理する実験の仕事で、午後に一人で錦糸町の首都高高架下の川から汚泥サンプルを採取し、船橋にある研究所へ搬送するという作業が入っていた。
 
ところが予定がずれ込み、夕方6時からという事になってしまった。ゴムボートを浮かべて、長柄の柄杓で汚泥をすくっていくのだが、初めてなので上手く採取出来ない。別作業で同行していた地元S建設の同年輩の人たちが見かねて手伝ってくれ、なんとか終えたのが夜の9時半過ぎ。
 
ヘドロだらけになりながら一息ついた目の前に、錦糸町のラブホテル街のネオンが眩しく輝いていた。そして、同年輩のアベックが吸い込まれるように入ってゆく。
 
「ああ…クリスマスで同年輩の連中はスコスコやっているのに、この俺は何やってるんだろ?・・・」あのときの惨めな気持ちは、いまだに忘れることが出来ない。
 
そんなバブルも翌年には、日経平均大暴落で崩壊へ。長い平成不況の始まりである。「平らかに成る」どころか「一億ぺいぺいに成る」世が平成だった。
 
しかし今上陛下のご退位により、「平成」は再来年には終わる。今後は折に触れ、この「平成」なる世の追想を述べてみたい。
 
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