星野仙一氏が亡くなった。昭和のプロ野球を代表する名選手の1人であり、また中日、阪神、楽天の監督を歴任した名監督でもあっただけに、残念である。
“武闘派”監督として知られ、選手の指導には鉄拳制裁も辞さないと公言していたが、これは氏の師匠であった島岡吉郎・明治大学野球部監督の指導の流れを汲んでいたからであろう。
明大野球部の名物監督だった島岡氏は熱血漢で、選手の指導として体罰も平然と行っていた。それが故にチームも強くなり、東京六大学リーグで何度も優勝に導いたが、鉄拳制裁や体罰も“血の通った”ものだった由。怖れられながらも選手たちがついていったのは、そのためだった。
また1960年代後半の学生紛争時代には、明大駿河台キャンパスを占拠していた全共闘の学生たちに対して、星野氏や高田繁氏ら後年に有名となる野球部選手たちを動員してバットで襲撃させた硬骨漢でもあった。
マスコミに出ていた星野氏の言行が、同世代の団塊全共闘世代人とは一線を画した筋の通ったものだったのも、そんな島岡氏の弟子だったからこそであろう。
ちなみに島岡吉郎監督は大戦中、日本海軍・広東海軍武官府の嘱託(軍属)として、香港、マカオで活躍していた。これについては過去エントリー、
の中で触れた通りである。
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