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博多祇園山笠、いよいよクライマックスへ

 
 
イメージ 1
博多祇園山笠HPより)
 
今年もまた、国の重要無形民俗文化財であり、770余年の伝統を誇る博多総鎮守・櫛田神社神事、博多祇園山笠が始まっている(15日払暁まで)。
 
昨日(12日)は15日早朝のクライマックス「追い山」に向けたリハーサルである「追い山ならし」が、そして今日13日は舁(か)き山笠を博多から福岡部へと舁き入れる「集団山見せ」が行なわれた。
 
TNC テレビ西日本 7/13 18:55配信ニュース↓

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博多祇園山笠 博多部から福岡部へ “集団山見せ” 福岡県
(http://www.tnc.co.jp/news/articles/NID2018071302265)

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そして15日早朝459分にクライマックス「追い山」を迎える。そして「追い山」が終わった後、熱気の残る境内において最後の行事として「鎮めの能」が奉納され、行事の終了を神に報告するのである。
 
この『博多祇園山笠』に代表される祇園山笠」祭り、博多だけではなく九州各地で行われているが、その中には現代の日本人が忘れつつある情熱と礼儀が脈々と受け継がれている。
 
無論、祇園山笠」祭りに限らず神社仏閣に所縁の日本の祭りは、昨今流行の官製祭りや企業協賛祭りと違い、その本質に奥ゆかしいものを秘めている。
 
博多祇園山笠』も明治維新後に廃止の危機があったという事は、意外と知られていない。明治31(1898)福岡県議会で、「野蛮な祭り」という県知事の発案により博多祇園山笠の廃止案が討議されたのである。
 
困った博多の人々が助力を求めたのが、このブログでも度々ご紹介している福岡玄洋社(当時の社長は進藤喜平太)で、玄洋社が発行していた新聞「九州日報」(現・西日本新聞)の主筆だった古島一雄(※)が廃止反対の論陣を張ったのである。
 
(※)古島は 兵庫県豊岡市 出身、明治44年より衆議院議員。玄洋社頭山満と共に孫文を支援し、辛亥革命に尽力する。戦後は鳩山一郎吉田茂の相談役を務めた。昭和27年没。
 
山笠存続を擁護すべく古島が打ち出した意見が、「山笠は地方自治の根源」という見事なものだった。
 
「県知事は山笠が裸で走りまわるので野蛮だと言っているが、着飾った人間が上等で、裸の人間が下等だという証明は何もない。現に鹿鳴館で着飾った紳士、淑女にどんなスキャンダルがあったか」
 
という論に、県知事以下の廃止派は沈黙。さらに揃いの水法被の着込みで上半身を露出しないという提案で廃止案は撤回され、現在に至っている。
 
当節流行りの価値観で歴史と伝統を葬り去ろうとする者は、何時の時代にもいるのである。
 
元福岡県人の筆者の身贔屓かも知れないが、この『博多祇園山笠』は祭りの情熱のなかに秩序と礼節がちりばめられた、日本の「祭り」の精華であると思うのだが如何であろうか。
 

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