賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の唄『酔って候』

 
慶応31014日(1867119日)、徳川15代将軍・徳川慶喜は朝廷に政権を返還する旨の大政奉還上表」を提出し、250年以上にも及ぶ徳川幕府政権は終焉を迎えた。
 
大政奉還」は「船中八策」と共に、坂本龍馬から土佐藩参政の後藤象二郎に伝えられた政策で、『幕末四賢侯』の一人である前土佐藩主・山内容堂慶喜に建白したものであった。
 
容堂の人となりについては、当時活躍した駐日英国公使館員ミットフォード(後の男爵リーズデイル卿、18371916)がこう評している。
 

「土佐の隠居容堂公は、当時の激動の時代に現れた多くの著名な人物の中でも特に傑出した人物であった」「彼は高い知性を備えた先見の明のある人物で、他の大名よりはるかに物事の政治的判断に優れていた」()

 
()「英国外交官の見た幕末維新」A..ミットフォード、講談社学術文庫
 
自ら『鯨海酔候』と号し、酒色を愛した生活を送っていた容堂はしかし、他の凡百の大名たちとは比べ物にならない政治的センスと存在感を放っていた。
 
もっとも酒好きが祟ったか、ミッドフォードが慶応四年三月に京都の土佐藩邸を訪問したときには、容堂の病状はかなり悪化していた。
 
「容堂公は五十年ばかり前の英国の政治家に似て、放縦な道楽者であった。~
彼の不節制は有名だったが、今やその報いを受けなければならなくなった。」
 
()同上
 
この詩人肌かつ独特の美学を持った山内容堂182772)の生き様を描いた司馬遼太郎の短編が、『酔って候』(文春文庫)。7年前の1010日に亡くなった柳ジョージさんも司馬遼太郎の大ファンで、この『酔って候』を題材に曲を作っている。
 
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♪ 土佐の鯨は大虎で 腕と度胸の男伊達

いつでも 酔って候

酒と女が大好きで 粋な詩も雪見詩
いつでも 酔って候
 
鯨海酔候 無頼酒
鯨海酔候 噂の容堂
 
二升入りの瓢箪で 公家を脅かす無頼酒
粋な 酔って候
 

歯が疼き目も眩み 耳鳴りしようとも
いつでも 酔って候

 
鯨海酔候 無頼酒
鯨海酔候 噂の容堂
 
新橋 両国 柳橋 夜の明けるまで飲み続け
粋な 酔って候
 
Everyday Everynight
Everyday Everynight・・・
 
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ご参考

(https://www.youtube.com/watch?v=0qUbtaIOAVE)

 
私が「柳ジョージ&レイニーウッド」の曲を聴き始めたのは高校生の時分、たしか1978年だったと記憶している。最初に買ったアルバムが、今では名盤のWEEPING IN THE RAIN
 
その後に出た『さらばミシシッピー』、『青い瞳のステラ、1962年夏…』等々、名曲は多いのだが、自分的にはこの『酔って候』が一番印象に残る曲である。
 
山内容堂公は維新後、「昔から大名が倒産した例がない。俺が先鞭をつけてやろう」と豪語し、酒と女(妾が12人いた)に明け暮れる派手な隠退生活を送った。そして明治5年に脳溢血で死去。享年46歳。
 
故・柳ジョージさんは享年63歳、現代では若死の部類に入る。死去直後に親友だったミッキー吉野さんがテレビのインタビューを受けていたが、柳さんも酒好きで、普段は無口なのに酒が入ると実に饒舌だった由。
 
酒乱だった容堂公とは対極に位置するような、明るい酒好きの柳さんだったが、酒好き・若死という点で共通してしまった。実に残念でならない。
 

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