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人権週間:子供の人権をメシの種にするな

 
毎年1210日は世界人権デー、昭和25年のUN(“国際連合”とも云う)第五回総会に於いて、世界人権宣言が採択されたこの日が人権デーと定められた。
 
毎年124日から10日までの一週間が「人権週間」と定められており、その中で「こどもの人権」も強調されている。また去る8月29日から9月4日までの7日間、全国一斉「子どもの人権110番」強化週間が実施されていた。
 
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法務省ポスター)
 
しかし現実には、児童虐待やそれに類する犯罪が増加している。皆さんがメディアで触れる事件は氷山の一角である。公表されない事件はその何十倍もあるのだ。
 
何故かというと警察は現行犯以外には弱く、子供の言い分だけを聞いて立件するのが難しい。虐待犯が「私は可愛がっていました」などとシラを切っても、それを事後に覆すには相当の調査が必要である。
 
ましてその虐待犯が実の親だったりすると、事情を知らない世間一般の人は「まさか」と思うのだ。これだけ実母、実父による虐待事件が頻発しても…である。
 
また裁判の判例が十分ではない事も、事件が表面化しない一因である。「親権」を主張し、濫用する者が行う虐待等に対しては、公権力がその権利を喪失させられる事になっている。しかし過去の判例では、子供が死ぬ一歩手前までいかないと親権喪失宣告が難しいのである。
 
筆者は11年前に身内の子供の人権侵害事案(虐待)を告発したら、逆ギレした虐待犯側が虚偽を並べ立てて横浜地裁に私を訴えたり、警視庁や東京地検に訴えたりして取り調べを受けるという経験をしている。
 
また、それを契機として前述の公権力による親権喪失宣告に関する民法改正を当時の民主党政権の千葉法相に直接お願いし、結果改正に至ったという成果も得ている。
 
更に子供の虐待防止を進めている人々と交流が始まり、例えば都内某所に於ける児童虐待防止事案などに関わってきたりしたが、それらの経験から痛切に感じたのは、世間一般の通念ほど当てにならないものはない、という事である。
 
「子供は実の父か母が育てるのが一番、子供も幸せだろう」などというのも、そんな勘違いの一種である。
子供にとって最善の利益が何かという視点が欠落している。
 
「親権」は権利と義務とが背中合わせだが、義務を果たさず、考慮すらしない者に子供を委ねたらどんな結果になるか、誰だって判るだろう。やたらと親権を主張する者の声に負けて、嫌がる子供を引き渡すという行為が社会正義なのか?
 
親の転勤で仕方なく引っ越す、つまり住生活・学習環境が変わるという事は仕方無い。しかし仮に、子供が幼児期に両親が離婚し父親とその家族に養育されて、物心ついた小学生となったとき、突然その父親が自分勝手な都合で家族にも了解を得ずに、別れた元妻に親権を移譲するという事態が発生したとする(もっとも、これは実際の事例である)。
 
「こどもは親権者の親権に服する」となっているが、現実の生活・学習環境が母親の環境とかけ離れている上に子供自体が母を覚えておらず、また現在の環境から離れたくないと希望している場合、無理矢理にでも母の元に移動することが真に子供の利益となり、子供の人権を守ることになるのであろうか?
 
まして母親の方の経済状態が最低レベルの場合は悲惨である。健全で文化的な生活を送っていた子供が、親権者のエゴによって低レベルの水準に落ちる事態というのは、「こどもの福祉」の観点から見るとどうなのか?
 
要するに子供をペットか自分の所有物程度に考えている「バカ親」がいかに多いか、という事である。
 

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※これは最近流行りのLGB(とそれを擁護する)一部人士が進めている、「同性カップルの養子縁組」も同様。「子供の福祉・利益」という大切な視点が欠落したまま、手前らの権利ばかりを主張しているとしか思えない。

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子供を守るという前提でいろいろな条例が作られてはいる。
 
例えば神奈川県川崎市には川崎市 子どもの権利に関する条例」なるものがある。 http://www.city.kawasaki.jp/25/25zinken/home/kodomo/jourei.htm )
 
この内容はごもっともだが、致命的なのは「罰則」が無いこと。しかもこの条例、制定されて以来、実際の子供の人権侵害事件に適用された事例がない由。
 
無意味な条例とそれに基づく役所の担当部署のために、毎年相当の予算が振り当てられ、毎年増額されているというのが現実である。この実態を知って虚しい思いに陥るのは私だけであろうか。
 
私はかつて人権擁護法案」「人権侵害反対法案」に反対しており、今もその類の法案が復活審議されることに反対である。
 
人権擁護法案」「人権侵害反対法案」では、人権擁護委員の組織が国家行政組織法第三条に規定された機関、所謂「三条機関」とされている。これは国会同意人事機関」の中でも常勤委員の存在する「独立行政委員会」、つまり公正取引委員会国家公安委員会と同じ、独立性が高く強大な権限を持つ組織である。
 
強大な権限をもつ人権委員会が裁判官の令状もなく強制的に「立ち入り検査」をしたり、また「書類等の留置き」を行うのは、令状主義の憲法35条違反であると考えられる。
 
また「人権擁護委員」の判断が間違っていたり、そもそも誣告の場合、被疑者の救済手段が曖昧である。
 
その人権委員が恣意的な判断で権力を行使すれば、真の人権侵害者が隠蔽されるだろう。例えば児童虐待の加害者側の顧問弁護士が人権擁護委員だったりした場合、虐待が伏せられて逆にそれを暴いた側が名誉毀損で訴えられたりする事態が発生しかねないのが、「人権擁護法案」「人権侵害反対法案」の恐ろしい本質である。
 
しかし「子供の人権」に関しては、児童虐待事例の増加や前述の「バカ親」多数発生と云う現実を踏まえて、法の運用を弾力的に進めるべきだと考える。
 
もちろん、しつけを否定したり、「こどもが市政に参加できる」等の理解不能な「こどもの権利」なる部分は削除した上で。
 
以前、札幌市でも同様の条例が採択されたというので、全文に目を通してみた。しかし 川崎市 のものと同様に、まるで使い物にならない。それどころか子供をダシに使った人権活動家の願望がストレートに露出したものである。
 
私は声を大にして子供の人権推進派の人に問いたい。
 
「こどもの権利、権利」と美辞麗句はもう聞き飽きた。実際の子供に対する人権侵害事例への処罰を考えろ、と。
 
それが出来ない、またやる気も無いのなら、そんな運動は無駄である。
 
「こどもの人権」は一部活動家や政治家のメシの種でしか無かろう。
文字通り命懸けの中国人権活動家やチベット東トルキスタンウイグル)、南モンゴルの人権改善活動家とは比べものにならないお粗末さではないのか。
 
つまらん「人権ごっこ」はさっさと止めるべきである。
 

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