賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

ファーウェイ事件と鄧小平「南巡講話」

 
26年前の春、所用で訪れた広東省深圳経済特区は活気に満ちていた。市内の大通りには鄧小平を描いた巨大な掲示板が設置され、各所で大型建築物の基礎工事が始まっていた。
 
その背景にあったのは、前年(1992年)1月18日から2月21日にかけて、鄧小平が武昌、深圳、珠海、上海などを視察し、改革開放路線の継続と、資本主義を手段として利用すると内外に声明した、所謂「南巡講話」である。
 
この南下行の本質は六四天安門事件 (1989年)ソ連崩壊 (1991年)で自身が提唱した改革開放路線に疑問符がもたれ、権力失墜の危機に陥った鄧小平による、一大反撃行動であった。
 
「南巡講話」で鄧小平が述べたのは、「要害是姓“資”還是姓“社”的問題」(※1つまり急所は表看板が“資本主義”か“社会主義”という問題。
これは例の「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕るのがいい猫だ」という発想である。
 
続けて
「判断の基準は、社会主義社会の生産力の発展に有利かどうか、社会主義国家の総合国力の増強に有利かどうか、人民の生活レベルを上げることにとって有利かどうか、という問題である」
と述べている。
 
こののち、《人民日報》を皮切りに(※2一連の追従論評で鄧小平路線が主流となるのだが、この流れが現在まで続く中共の経済膨張と外資対中投資を誘い込んでいるのである。
 
元々中国人が持っている拝金思想と相俟って、官民共に金儲けに邁進する中共を「信頼に足る」相手と見ること自体が間違いの元であるのは、一連の中国産品騒動やスパイ事件、ハニートラップや米国政界を揺るがす巨額不正献金事件等々で実証済み。
 
そして今般のファーウェイ事件。
 
結局四半世紀の間、鄧小平の甘言に乗せられ対中投資した行為と“巨大市場”幻想が中共の誇大妄想的な経済膨張に拍車をかけ、その挙句の世界的な対中依存度の異常な高まりと中国品トラップ騒動と言う悪循環に嵌ってしまった訳である。
 
(参考資料)
(※1中共深圳市委宣伝部編、19924月第一版『1992春 鄧小平与深圳
 
(※2《人民日報》1992223放和利用本主
 

… … … … … … … … … … … … … … … … ……

ブログランキングに登録しています。エントリーを書く励みにもなりますので、応援いただければ、下記アドレスをクイックお願い致します。

… … … … … … … … … … … … … … … … ……