沖縄県石垣市内に建つ「尖閣神社」では、来月に例大祭を挙行する由。
産経新聞1月5日配信記事↓
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(https://www.sankei.com/article/20220105-W6G6NTKZONNRDJPFGGEEJPN6OM/ )
東シナ海の尖閣諸島(沖縄県石垣市)海域で、中国海警局の船舶が領海に侵入するなど、日本の国家主権が揺さぶられる中、国土の安寧を願って「尖閣神社奉賛会」(出口吉孝会長)が2月に例大祭を実施する。(以下略)
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元々この神社は平成12年に民族派団体の日本青年社が尖閣・魚釣島に創建したもの。ところが平成16年に不法上陸した中国人によって破壊され、青年社が被害調査のため尖閣に向かおうとしたが海保の許可が下りず、やむなく石垣島内に再建したものである。
海保が許可しなかったという事はすなわち、日本政府が許さなかったという事である。中国人にいいようにされても、「日中友好」で日本人に泣き寝入りを強いている日本政府の姿勢は現在も何ら変っていない。
一例を挙げると、尖閣諸島の字名変更に於ける一連の過程がそう。
尖閣諸島は石垣市の行政区域であり「石垣市字登野城」が昔からの地名である。近年、土地や本籍等の表示を一見で尖閣諸島であると明確にして事務手続きの効率化等を図るための字名変更要請が強くなったため、平成30年に石垣市議会が変更を議会決議した。
ところが日中関係悪化を危惧して取り止めの圧力をかけたのが日本政府中央であった。そのため議会決議後すぐに変更できず、やっと令和2年6月になって石垣市長が変更議案を提出し賛成多数で可決し「石垣市字登野城尖閣」となったのである。
かつての安倍政権下でこの有様だったから、元々が親中の岸田政権では毅然とした対中姿勢なんぞ期待するだけ無駄なのかも知れない。
ちなみに昨年11月に石垣市を訪問した際、明治時代に尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎氏を記念する石碑を訪れた。
これも本来は尖閣に建立すべきものなのだが・・・。
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