戦後、現役首相および首相経験者が殺害された事件は前例がなかった。しかし今回の安倍晋三・元首相暗殺事件が起こってしまい、我が国の「安全神話」が大きく揺らいでいる。
振り返ってみると日本の憲政史上、現役の首相、首相経験者が襲撃され死亡した事例は、
※(現):現役首相、(元):首相経験者
- 明治42年(1909年)、伊藤博文(元)、満州ハルビン駅にて暗殺(銃撃)。
- 大正10年(1921年)、原敬(現)、東京駅にて暗殺(刺殺)。
- 昭和5年(1930年)、濱口雄幸(現)、東京駅にて負傷、のち死亡(銃撃)。
- 昭和7年(1932年)、犬養毅(現)、五・一五事件(銃撃)。
- 昭和11年(1936年)高橋是清(元)、齋藤實(元)、二・二六事件(銃撃)。
このうち五・一五事件の犬飼首相と二・二六事件の高橋是清、齋藤實の両元首相は除き、伊藤博文、原敬、濱口雄幸の各暗殺事件に於いて、警護に失敗し暗殺を許してしまった警備関係者に処罰があったのかどうか、そして警備責任者がその後どうなったのかについて、調べてみたが判らなかった。
思うに明治期は言うに及ばず昭和になっても要人警護のマニュアル化は現代に比べてさほど確りとしたものではなかったので、警備担当者への過酷な処罰は為されなかったのではなかろうか。
しかし明治以前の要人襲撃・暗殺事件について見ると、失敗した警備担当者へは厳しい処分が下されていた。
例えば有名な「桜田門外の変」、水戸藩脱藩ら18名が大老・井伊直弼に従う総勢60名の彦根藩士らを襲撃し、井伊直弼は殺害され首級を取られた事件である。
この襲撃で水戸藩浪士らと闘い即死した者4名、負傷後に死亡した者4名の計8名に対しては、その功績が認められ「跡目相続」が許された。しかし、その他の者は「護衛に失敗し家名を辱めた」責任を取らされている。
すなわち、重傷者8名は配流先にて幽閉処分、軽傷者5名は切腹、そして無傷だった者5名は全員斬首かつ家名断絶の処分が下された。
翻って今般の安倍元首相暗殺事件、報道によれば警護のSPが責任を感じてしょげ返っている云々とのこと。
NEWSポストセブン7月13日配信記事↓
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安倍氏の専属SPが号泣 後援会幹部の「お前の責任じゃない」電話にも言葉にならず涙
(https://www.news-postseven.com/archives/20220713_1773183.html?DETAIL&_from=widget_related_pc )
(中略)
安倍氏の後援会幹部によると、事件の現場を担当していたSPは強いショックを受けているという。(以下略)
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「お前の責任じゃない」と言われても…また、地元奈良県警の警護担当者達の声はまだ報道されていない。
さすがに時代は21世紀なので、おそらくは「左遷異動」「降格」などの処分になるだろうが…そして個人の「自決」に対してどう向き合うか。これからの課題である。
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