賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

悠仁親王殿下、“賭皇”への期待

 

筑波大附属高校に通われている悠仁親王殿下が自校の文化祭を楽しまれた由。

 

FRIDAY DIGITAL9月24日配信記事より 

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カジノで悔しがり…悠仁さまが「文化祭」で見せた”16歳の素顔”

(https://friday.kodansha.co.jp/article/265918 )

「うわー! 残念!」

カジノの部屋から、男子生徒たちのひときわ激しく悔しがる声が上がった。9月10~11日に行われた筑波大附属高校の文化祭である「桐陰祭」。秋篠宮家の長男・悠仁さまも初めての桐陰祭を楽しんだ。

(~中略~)

「2年のクラスが催したカジノに3~4人で連れ立って現れたところを見かけました。作り物のコインを使って、もちろん実際にお金を使うわけではありませんが、運営する生徒はそれらしい演出で説明をしたり、けっこう本格的なんです」(在校生)

「賭けているうちに熱くなって(笑)。負けが込んでしまって、めっちゃ悔しがってましたよ。ああ、ふつうの男子だな、と思いました」(在校生)

(以下略)

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賭博嫌いの所謂“良識ある人々”が眉をひそめそうな記事だが、「人生賭博の如し」がモットーの筆者はそんな人々とは真逆の立場なので、実に喜ばしい話だと思っている。

 

賭博は「貴人の嗜み」、双六などの博奕を楽しんだ歴代天皇の系譜を悠仁親王殿下も受け継がれていると思うと感慨しきりである。

 

日本書紀」によれば本邦初の賭博禁令は持統天皇3年(689年)に持統天皇が発した「禁断双六」(双六禁止令)である。しかし双六賭博は当時の上流階級のみならず一般にも普及し、持統天皇の曾孫に当たる聖武天皇などは大の双六好きとして名を馳せていたほどである。

 

正倉院北倉の御物「木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)」は聖武天皇愛用の双六盤である。

 

そして平安時代には、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」で有名な白河法皇後白河法皇後鳥羽上皇錚々たる面子が現れた。後白河法皇などは人生そのものが博奕みたいなもので、相当楽しまれたのではないだろうか。

 

以前にも述べたように“良識ある人々”からブーイングを食らうのを承知で断言するが、「勝負強く」ありたいと願う人にとって勝負ごと、賭け事は絶対に必要である。

 

何故なら人生に必要なのは才能、努力に裏打ちされた「実力」だけでなく、計測不可能な「運」をも呼び込む『勝負強さ』。これを養うために必要なのは、やはり「勝ちたい」という勝負への執念と精神的な強さを持続すること。

 

そしてカジノで賭ける、または「読み」を必要とする博奕に賭けるという行為は、例え少額であっても『勝負強さ』であるとか「運」の流れを読む能力を養うことに繋がってゆく。

 

悠仁親王殿下も賭博を通じて「勝負師の矜持」を養ってゆかれるならば、いずれ我が国を代表するお立場になられたときに『勝負強さ』を発揮されるに違いない。それは我が日本国の隆盛に繋がってゆくであろう。

 

将来の“賭皇”が統べる我が国の未来は明るい。

 

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