もう40数年前になるだろうか、往年の名映画をリバイバル上映していた新宿の某映画館で見たのがドイツ映画 『撃墜王 アフリカの星』(原題:Der Stern von Afrika)だった。
(ご参考YouTube)↓
(https://www.youtube.com/watch?v=c2wnNNbY35Q )
WWⅡのドイツ空軍にあって破天荒な軍歴と私生活で知られたエース・パイロットのハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉(通算158機撃墜)の生涯を描いた映画である。
主人公のプロフィールについては下のウィキペディアのページに詳しいのでご参照頂きたい。
彼の初陣は「バトル・オブ・ブリテン」、英本土上空及び英仏海峡上空での制空権を巡る戦いであった。そこで7機撃墜したが度重なる軍律違反や奔放な私生活上での問題が祟って二度転属となる。
二度目に転属した第27戦闘航空団は北アフリカのリビアに進出し、それがマルセイユ大尉の人生を決定づけたと言える。通算撃墜記録158機の内、実に151機撃墜を北アフリカで記録し、「アフリカの星」と呼ばれるようになったのだから。
(Wikipediaより寸借)
マルセイユ大尉の戦闘スタイルは敵編隊に突っ込んで格闘戦“ドック・ファイト”を挑むことで、特に偏差射撃の名人として名を馳せていた。相手が主にイギリス空軍で熟練パイロットも多かったことを考えると、そんな敵との戦闘で158機も撃墜したのは驚異的といえる。
ちなみに東部戦線でのソ連空軍との戦闘で撃墜数352機という戦史上最多の記録を打ち立てたエーリヒ・ハルトマン少佐は格闘戦一辺倒ではなく、
「敵を観察→攻撃手順決定→攻撃→また状況観察」
の反復という無理をしないスタイルで終戦まで戦っていた。
その対極の戦闘スタイルを続けたマルセイユ大尉の最期は飛行中の機体不具合による事故死であったが、度重なる空中格闘戦の疲労が蓄積していたという証言もあるので恐らく長生きは出来なかっただろう。
1942年9月30日、マルセイユ大尉の乗機は作戦を終えて味方基地に帰還する最中、エンジントラブルを起こし急降下を始めた。機体からの脱出を試みたマルセイユだったがしかし、そのパラシュートが開くことは無かった。享年22歳。
映画 『撃墜王 アフリカの星』 のオープニングと劇中に流れるテーマ曲(邦題『アフリカの星のボレロ』)は戦争映画には似つかぬ、軽快だが哀愁溢れるメロディー。
(ご参考YouTube)↓
(https://www.youtube.com/watch?v=HrH628KF_3Y )
マルセイユ大尉の人生をよく表現している名曲で、いつまでも印象に残っている。
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