賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

台湾・飛虎将軍廟で怪現象

 
既に当ブログで度々述べているように、筆者が加盟している「日華(台)親善友好慰霊訪問団」は毎年、台湾各地で慰霊祭を行っている。その中のひとつが台南市の北西5キロの郊外にある「鎮安堂飛虎将軍廟」で、祀られているのは大東亜戦争中、台南上空の空中戦で壮烈な戦死を遂げた日本海軍の杉浦茂峰飛曹長(戦死後に少尉昇進)である。
 
 
イメージ 1
 
昭和19年10月12日、米軍は台湾各地に航空決戦を挑んできた。午前7時19分、米軍機が台南に来襲、在台湾の帝国陸海軍航空隊がそれを迎撃し、各地で激しい空中戦を繰り広げた。
 
その内の一機の零戦が米軍機の銃撃で尾翼より発火し、海尾の大集落へ向かって落下していった。このまま落下したら、海尾の町は大火事になる。そのとき零戦は機首を上げて上昇し、海尾の町をはずれ東方の畑の方へ飛び去った。飛行士は落下傘で飛び降りたが、米機の機銃掃射を浴びて落下傘は破れ、飛行士は墜落した。
 
その後、町の有力者達が集まり、身を挺して海尾の町を戦火から救った飛行士の為に、永久にその恩徳を顕彰する事を衆議一致で決議した。そして昭和46年に廟を建設して毎日お参りをした。すると、稲作は豊作、豚や魚の養殖も順調で、宝くじまで当たる者も出てきた。廟は海尾集落の守り神として集落の人々の崇敬を集めている。
 
 
イメージ 2
 
毎日遠近からの参拝者が多く、日本からの参拝者も年中絶えない。廟の正面には「鎮安堂飛虎将軍廟」と書いた額が揚げられている。「鎮安」とは鎮邪安民の意で、「飛虎」とは戦闘機又は空を飛ぶの意である。「将軍」は神として奉られる勇士の尊称である。廟守は、朝は日本の国歌「君が代」、夕は「海ゆかば」を粛々と歌うのである。
 
祀られている杉浦茂峰飛曹長については、氏の故郷である茨城県水戸市のホームページに詳しい。↓
 
水戸市ホームページより
「飛虎将軍」故杉浦茂峰氏について
 
また今週、飛虎将軍廟の管理委員会メンバーが御神体と共に来日し、水戸市を訪問中である。
  ↓
毎日新聞923日配信記事↓
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<飛虎将軍>台湾でまつられている神像、水戸に里帰り
 
太平洋戦争中に台湾南部・台南市で戦死し、現地で神としてまつられている水戸市出身の旧日本海軍曹長杉浦茂峰(しげみね)氏の神像が、初めて「里帰り」した。杉浦氏を「飛虎(ひこ)将軍」として廟(びょう)にまつる現地の管理委員会メンバーが、神像を持って来日。22日に水戸市の関係者らとともにみこしを担いで市内を練り歩き、両市民の友好を誓った。(以下略)
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前述のように筆者も度々ここを訪れて参拝しているのだが、6年前に不可思議な現象に遭遇したことがある。訪問団全員で参拝後に祭壇をデジカメで撮影したところ、こんなのが写っていた。
 
 
イメージ 3
(赤丸部分、祭壇基部に自分の顔が・・・)
 
これを撮ったのは筆者である。そして何故か、自分が写っているのである。
 
帰国後に靖國神社へ赴き、この写真と飛虎将軍廟の概略を説明し、相談に乗って頂いた。すると宮司さん曰く、「こういった現象はたまにありますよ」とのこと。
 
この場合問題となるのは、「尊崇の念が有ったかどうか」という点だそうで、その点に関しては文句ない状態だった旨を話したところ、「では問題ないでしょう」というご回答だった。
 
おまけとして靖國神社の資料館である『遊就館』では、夜に結構いろんなものが出没しているという話も伺った。内容についてはこれ以上書きたくない事象ばかりなので、皆様ご推察のほどを。
 
結論としては、日本であろうと台湾であろうと、神社仏閣、聖廟や聖地に於いては、尊崇の念を持って訪問すること。これに尽きるであろう。
 
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