その是非を論ずる以前に、ウクライナ騒乱から今日までのクリミアを巡る政治的な流れは非常にスマートである。ロシアは早々と進駐部隊を投入したものの、国際世界に見せつけるような露骨な武力恫喝をした訳でもなし、また旧ユーゴスラビアのように住民同士が大々的に殺し合いを演じた訳でもなし。まるで事前シナリオが十分練られていたかのようである。
独墺合邦の流れは以下のようなものであった。
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④ 翌4月10日、併合の是非を問う国民投票が行われる。
今回のクリミアの件との相似点は、
・ドイツ軍進駐をオーストリア市民は熱烈に歓迎、クリミアでもロシア軍に対して大方の住民が反感を示していない。
一方、相違点は、
・オーストリアに対しては、ドイツが露骨に軍事恫喝。
クリミアの件との相似点は、
・韓国皇帝、政府が併合に同意していた。
対して相違点は、
・そもそも、ほぼ100%異民族。
・一般の韓国国民は併合当日に日韓合邦を知らされた。国民投票も無かった。
以上、ロシアは恐らく1938年独墺合邦の事例や、また1910年日韓合邦の事例をよく研究していたのであろう。
歴史に学ぶ者は、したたかで強い。
プーチン氏畏るべしと云えようか。
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