賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の唄:吉田拓郎『夏休み』と広島原爆

 
大抵の学校が夏休みに入ったからだろうか、今朝の電車はこころなしか空いていた。
 
この時期によく聞く吉田拓郎の名曲『夏休み』がリリースされたのが、昭和46年(1971年)のこと。当時、私は小学生だったので、「なんか髪が爆発した兄ちゃんがギター弾いてるなー」くらいにしか認識していなかった。
 
従って、今では名曲の部類に入る『夏休み』も当時聴いた記憶が全然無い。しかし歳をとってから改めて聴くと、実にノスタルジア溢れる良い曲である。
 
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『夏休み』 (作詞、作曲: 吉田拓郎
♪ 麦わら帽子は もう消えた  田圃の蛙はもう消えた
それでも待ってる 夏休み
姉さん先生 もういない  綺麗な先生 もういない
それでも待ってる 夏休み
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この曲を巡っては誰が言い出したか知らないが、「原爆投下後の広島の情景を歌ったもの」「反核のメッセージソング」といった説が根強く存在するようで、いつぞやの『日刊ゲンダイ』コラムでも、そんな事が書かれていた。
 
恐らく吉田拓郎が「広島出身」という辺りから発生しているようだが、それは全くの虚説だ。
 
そもそも吉田拓郎氏は昭和21年4月5日、鹿児島県大口市(現・伊佐市)生まれ。小学校途中で広島市内に転居し、大学卒業まで広島で生活していたものの、当時の広島を覆っていた原水爆禁止運動に参画したり、メッセージソングを作ったりはしていない。
 
また某ラジオ番組(ニッポン放送オールナイトニッポン」)中、ご本人自らが「この曲の“先生”のモデルは自分が通っていた鹿児島市内の小学校の先生で、広島とは何の所縁も無い」「自分が体験していないことを歌にすることはない」とキッパリ否定していた由。
 
それでもなお都市伝説の如く、吉田拓郎『夏休み』は反核のメッセージソング」だと主張したい輩がいるらしい。要するに彼らは、何でもかんでも自分らの運動のために都合よく解釈して取り込みたいという願望をもっているのだろう。
 
まるで、どこぞの半島に蠢いている連中と同じではないか。
 
最近の流れで評価できるのは、そんな半島人メンタルを持った反日左翼や半島人そのものが、その正体を炙り出されて来たことである。慰安婦やら何やらで世界中に害悪をばら撒いている彼らだが、こちらも先日の米軍慰安婦提訴のようにカウンターパンチをどんどん繰り出してゆくべきだ。
 
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