賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

「野田聖子」とは何者か?

 
先週の週刊文春野田聖子総務相の今の旦那(野田文信氏、旧名・木村文信、本名・金文信)の前歴やら何やらを特集していたのは、皆様ご存知のとおり。しかしこの程度の事実は目新しいものではなく、むしろ「何を今更?」という感が強いものだ。
 
どうせなら野田総務相の外道そのものと言える過去の言動を特集した方が、よほど反響があったのではなかろうか。例えば、北朝鮮拉致被害者に対して。
 
「所詮は政治取引の駒に過ぎない」
「自分達の立場を弁えて貰わないと困る」
「私なら拉致被害者をすぐに帰国させる。どうせ役に立たない人達だから」
(以上は元秘書による暴露)
 
そして、小泉内閣時代に焦点となった郵政民有化問題に関して。
 
野田議員が当時所属していた亀井派にあって、唯一郵政民有化賛成票を投じたのが故・永岡洋治衆院議員だった。その後の亀井派総会の席上、野田氏は小林興起と共に永岡氏吊るし上げの主役を務めた。永岡氏への罵声。
 
「ブラブラしやがって、このキンタマ野郎!」
 
その後、野田と小林に追い詰められた永岡氏は自殺した。あの蓮舫が松岡議員を追い込んで自殺させたのと同じ構図である。もっとも、野田的にはたいした事ではなかったのかも知れない。過去を振りかえれば手慣れたもの?
 
そう、過去と云えば、週刊誌が(おそらく)知っていて敢えて記事にしないこともある。たまにネット上では野田聖子 茶巾寿司」ググると面白い話が出てくるが、それは田園調布雙葉学園在学中の話。
 
誰も記事にしないのは野田の上京前、福岡県在住時代の話だ。週刊誌の記者諸君、みんな知ってるんだろう? 何で書かないのか不思議でならない。
 
更に云えば、そもそも「野田聖子」とは何者なのか?という処に行き着く。
 
野田は昭和3593日生まれ。昭和59年(1984年)に、かつて経済企画庁長官・建設大臣を歴任した祖父、野田卯一氏(岐阜県選出)の養子となって、「野田」姓を名乗っている。政界入りしたのが昭和62年(1987年)である。岐阜の古い人間に対しては「野田」の名跡がステータスなので、政治活動に必須だったのだろう。
 
その野田の実父は島稔氏(戸籍では野田卯一の子)。その島 稔氏が「島」姓となったのは、野田卯一の岳父である島徳蔵氏の養子になったからである。
 
筆者が週刊誌に対して不思議でならない二番目は、「野田聖子」が野田の実の血縁かどうかを誰も記事にしない点。いわゆる「報道しない自由」を行使しているのかも知れないし、疑問すら抱いていないのかも知れない。
 
そういえば、民主党山岡賢次・元議員の出自も詳しくは報じられてなかった。あのパターンの変形なのか、どうなのか。
 
ところで話は変わるが、昨今は嫡出子と非嫡出子の権利が同等になる判決が出るなど、一昔前には考えられない状況になっている。昔は嫡出子と庶子の別が厳しい時代だった。まして、「連れ子」とかの、庶子ですら無ければ・・・それに比べれば現代はいい時代となったのだろう。
 
… … … … … … …… … … … … … … … … …
ブログランキングに登録しています。エントリーを書く励みにもなりますので、応援いただければ、下記アドレスをクイックお願い致します。
… … … … … … …… … … … … … … … … …