賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の唄『戦友の遺骨を抱いて』

 
 
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藤田嗣治シンガポール最後の日」)
 
昭和17年2月15日、山下奉文陸軍中将率いる日本陸軍第25軍(総兵力3万6千名)の攻撃により、シンガポール要塞に立て籠もるイギリス軍(8万5千名)が降伏した。
 
開戦時のコタバル上陸作戦以来、マレー作戦で半島を南下進撃して来た日本軍の最終目標であったシンガポール。その陥落に日本の朝野は沸き立ち、2月18日には東京・日比谷公園で「大東亜戦争戦捷第1次祝賀国民大会」が開催されたほどである。
 
そして翌々月には、シンガポール陥落を題材にした歌謡曲がレコード化された。
 
『戦友の遺骨を抱いて』
作詞:逵原実(辻原実)、作曲:松井孝造
(ご参考動画)
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一番乗りをやるんだと 力(りき)んで死んだ戦友の
遺骨を抱いて今入る シンガポールの街の朝
 
男だなんで泣くものか 噛んでこらえた感激も
山から起こる万歳に 思わず頬が濡れてくる
 
負けず嫌いの戦友の 形見の旗を取り出して
汗によごれた寄せ書を 山の頂上に立ててやる
 
戦友(とも)よ見てくれあの凪いだ マラッカ海の十字星
 夜を日に継いだ進撃に 君と眺めたあの星を
 
シンガポールは陥しても まだ進撃はこれからだ
遺骨を抱いて俺は行く 守ってくれよ戦友よ
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陸上自衛隊小倉駐屯地広報班編『軍歌大全集』より)
 
ただし唄の一番、二番では入城式的な情景が描かれているが、実際には現地部隊は死傷者の多さに配慮し、また市内に潜在している抗日分子の掃討のため、入城式等の奉祝式典を行わなかった。
 
※ちなみにこの時の華人系抗日分子の掃討作戦(華僑粛清事件)で無関係の市民多数も殺害され、後にシンガポールB・C級戦犯裁判で多くの日本人関係者が罪に問われる事となる。これについては別エントリーで述べたい。
 
シンガポールの陥落は、欧米白人勢力による数百年に渉るアジア、アフリカへの植民地支配終焉の先駆けとなる、世界史的転換点であった。そして日本の敗戦後にシンガポールへ再進駐したイギリスは戦前と同様の植民地支配を維持できず、シンガポールは多民族による多文化主義の独立国家へと歩み始める。
 
シンガポール市内、Fort Canningにあるイギリス軍司令部の遺構は現在一般公開されており、日英開戦からシンガポール陥落までの歴史を当時の資料やロウ人形、音声ガイドで紹介している。
 
 
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(イギリス軍司令部「バトル・ボックス」の入り口、筆者撮影)
 
皆さんがもしシンガポール訪問されるならば、是非立ち寄って頂きたいスポットである。
 
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