(『新正堂』さんのHPより)
元禄15年12月14日(1703年1月30日)、大石内蔵助率いる赤穂浪士が主君の敵を討つため吉良上野介邸に討ち入りした。事の発端は前年3月14日、江戸城松の廊下で勅使接待役の播州赤穂五万三千石・浅野内匠頭長矩が突如、高家・吉良上野介義央に斬り付けたことにあった。
刃傷沙汰に及んだ原因は諸説あって未だ不明である。取り押さえられた浅野内匠頭はすぐに奥州一関藩の田村右京太夫預かりとなり、芝愛宕下の同藩江戸屋敷の座敷牢に運び込まれた。
当時の原則は「喧嘩両成敗」、しかし激怒した将軍綱吉は浅野に即日切腹、吉良はお咎めなしという異例の裁定を下したのである。同日夕刻、幕府大目付・庄田下総守が田村屋敷に到り、切腹の沙汰を申し付けた。大目付の指示で浅野の切腹は屋敷内ではなく、庭先で行われるという大名にふさわしくないものだった。
将軍綱吉の片手落ち裁定とこの無情な措置が浅野家家臣を激高させ、一年九ヶ月後の吉良邸討ち入りに繋がって行く。
冒頭の「切腹最中」は、新橋田村町(現・港区新橋4-27ー2)の田村家上屋敷跡に店を構える和菓子店『新正堂』さんの名物和菓子。餡がたっぷり入って最中の皮を割っている様は、まるで切腹をデフォルメしたような姿である。
かつて不始末をやらかしたり手落ちがあった際、お詫び訪問に携える贈答品として定番だったのが『虎屋』の羊羹だったが、最近ではこの「切腹最中」も人気だという。「切腹」するほど申し訳ない…という寓意か。
しかしこの商品、せっかく武士道の精華である「切腹」を象っているのだから、お詫びというよりもむしろ、コロナ脳に犯された連中に進呈するのが面白いだろう。「詰め腹を切れ」という意味で。
… … … … … … … … … … … … … … … … … …
ブログランキングに登録しています。
応援いただければ、下記アドレスをクイックお願い致します。
↓
(https://blog.with2.net/link/?2009463 )
… … … … … … … … … … … … … … … … … …