前年十二月十四日の討ち入りから一ヵ月半の間、本懐を遂げた赤穂浪士の処置については、幕府だけではなく一般庶民に至るまで世論は沸騰していた。
武家社会の頂点に立つ幕府にとって、主君の仇を討つという行為は武士のあり方の根幹であり武士道に適うものである。しかしそのために赤穂浪士を助命すれば、そもそも浅野への拙速な処罰が間違っていたと幕府が告白するに等しい。しかもそれを裁断したのは、五代将軍徳川綱吉なのである。
『葉隠』で有名な肥前佐賀藩士・山本常朝は、「浅野殿浪人夜討ちも泉岳寺にて腹切らぬが落度也」、つまり赤穂浪士が討入り後に訪れた泉岳寺で即刻腹を切らなかったのを落ち度と評している。しかし浪士たちの総帥である大石内蔵助にとって、討入り後の処遇を敢えて幕府に任せるということは、事の発端である松の廊下の刃傷事件処断と武士道の意義を幕閣に考えさせる作戦の一環であったのだろう。
死出の旅立ちにもかかわらず、多くを語らず別れを告げる一言の中に、大義を貫き志を遂げた男の矜持が凝縮されている。現代日本から失われつつあるもの、それが日本人としての、サムライとしての矜持ではないだろうか。
最近の事件における様々な日本人の振る舞いを見るにつけて、改めて思いを致した次第である。
ちなみに、『中央公論』大正六年九月号に掲載された芥川龍之介の短編小説に、『或日の大石内蔵之助』という作品がある(※)。討ち入り後に細川家預かりとなった大石の、安らかな満足感と共に自分たちの処遇と評判をめぐっての世論に戸惑う様が描かれた佳作である。
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