<“民意”から“神意”へ>
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
さて、先月の衆院選の陰で、為政者の覚悟を問うようなニュースがあった。
時事通信12月10日配信記事↓
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群馬県渋川市の金井東裏遺跡で、6世紀初頭に噴火した榛名山二ツ岳の火山灰で埋まった溝から、よろいを着た成人男性の人骨が見つかった。遺跡の発掘調査を行っている県埋蔵文化財調査事業団が10日、発表した。同事業団は、古墳時代の人間が火砕流に遭遇し、死亡したとみている。古墳時代のよろいが、実際に人が着た状態で見つかるのは全国で初めて。
よろいは高さ約60センチ、幅約50センチ。人骨はほぼ全身が残っており、うつぶせの状態で見つかった。膝をついた姿勢から前に倒れたとみられる。着ていたものと同種のよろいは、主に大和政権と近い有力者の古墳から見つかることから、この男性も首長だった可能性が高いという。遺跡からは他に、別のものとみられるよろいの一部、乳児の頭骨一つ、鉄製の矢尻14点が発見された。
同事業団は、人骨が火砕流が流れて来る方向に向かって倒れており、逃げようとした形跡もないことから、男性がよろいをまとい、矢尻を並べた上で、山の怒りを鎮めようとしていたのではないかと想像している。(以上引用)
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このタイミングでの「古墳時代の首長発見」、しかも
「~同事業団は、人骨が火砕流が流れて来る方向に向かって倒れており、逃げようとした形跡もないことから、男性がよろいをまとい、矢尻を並べた上で、山の怒りを鎮めようとしていたのではないかと想像している。」
これは発掘状況から考えて、当時の首長が山の神の怒りを鎮めようとしたか、あるいは神意を伺おうとしたかのどちらか。
私の考えるに、この遺跡発掘における発見はまさに「為政者の覚悟」を現代の私たちに示すための“神意”ではないだろうか。
政権が交代するという時期に、この発掘ニュース。そして選挙期間に「脱原発」と騒いでいた連中を尻目に、強烈な寒波と大雪。
現代人が例えば、自然現象や今回の発掘のような出来事などに“神意”を感じなくなってから久しい。非科学的だと言えばそれまでだがしかし、こういった突発イベントに関して様々な角度から思いを致すという事が大切なのではないだろうか。
現代ではよく「民意」、「民意」とマスコミが口にする。また私たち国民もそれを当然のように受け止めている。しかし民意とは尊重すべきものではあるが、それに媚びるものでは断じてない。
日本の歴史の屋台骨である神道の観点から見れば、政治とは、「まつりごと」とは、元々が神事である。為政者が為すべきは“神意”を伺い、世を治めること。
従って“民意”よりも上位にあるのが、“神意”である。
国内外に敵対・抵抗勢力も多く、一歩一歩着実かつ安全策をとりながら進むべきではあるが、もう為すべきことはハッキリしている。
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