賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の銘言「今を最善に」

 
かつて「伝説の相場師」と呼ばれた、THK株式会社(東証1部上場) 元社長・会長の寺町博翁が亡くなって1年経つ(享年88歳)。去る6月15日に開催された同社の株主総会終了後に同会場で製品説明会が催されたが、そこにはさりげなく寺町翁の銅像が置かれていた。
 
 
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THKが株主総会を所謂「集中日」から外し、一般株主が参集し易い土曜日に開催するようになったのは確か12,3年前、まだ翁が会長の時である。今でこそ土曜、日曜に株主総会を行う企業は珍しくないが、当時はまだまだ少数だった。私も以前からTHKの株を持っていたが、それまでは同社の総会に出たことが無く、初の土曜開催の総会に半ば驚きつつも出席したのを覚えている。
 
会社側、株主側が共に土曜開催のオープンな総会というものに慣れていなかったせいもあったのだろう、寺町翁が議長の総会はぎこちないものの粛々と進行していった。そして直に拝見した翁の姿には“風雲児”的なギラつき感はなく、実に淡々とした物腰が印象的だった。
 
翁は技術者であり、創業した日本トムソン㈱、THK㈱の2社を上場させた実業家でもあり、また株式市場では数々の仕手戦で名を馳せた。世間一般の知名度は高くなかったものの、株式市場、商品取引、そして機械技術の世界では誰もが知る有名人であった。
 
こう書くと典型的な立志伝中の人物のように思う方も多いだろうが、寺町翁の生涯は決して順風満帆ではなかった。本業の儲けを株式投資に費やし、仕手戦での大勝利もあれば100億円負けたこともあり、自らが創業した日本トムソンから社長の座を追われた。
 
普通の「立志伝中の人物」ならばこの辺りで終わりだが、翁が常人と違ったのは、そのあとである。再起した翁は2度目の創業でTHKを業界大手、そして東証上場へと飛躍させていったのである。
 
THK躍進の原動力は、機械の直線運動部のころがり化を世界に先駆けて製品化した「LMガイド」の開発だった。元々が技術者の翁とその周囲に集った技術陣、経営陣はそれを堅実な戦略で浸透させ、世界シェア一位の座を得た。翁の経歴からすると意外な感があるが、そこには株の仕手戦のような派手さは無く、技術の追求と顧客への対応に誠実たらんとする姿勢だけがあった。
 
冒頭に挙げた銅像の下部には、翁の言葉が刻まれている。
「今を最善に」
 
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「今」、つまり現前の状況に対して誠実に、より良い解決方法を模索し対処してゆくこと、これが信用と発展の基(もとい)であることを知っていた、寺町翁の人生に相応しい言葉ではないだろうか。
 
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