賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の唄『台湾軍の歌』

 
『台湾軍の歌』(昭和15年作)
作詞: 本間雅晴、作曲: 大沼哲
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♪太平洋の空遠く 輝く南十字星
黒潮しぶく椰子の島 荒波吼ゆる赤道を
睨みて起てる南(みんなみ)
護りは我ら台湾軍
嗚呼 厳として台湾軍
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元々この唄は「台湾派遣軍の歌」といい、支那事変で大陸に派遣された台湾軍隷下部隊を題材にした歌である。本来の「台湾軍の歌」は別に存在していた。
 
しかし、こちらの方が有名になってしまい、現在では専らこの歌が歌われている。毎年1125日、台湾・台中の宝覚寺で挙行される「大東亜戦争で散華した台湾出身軍人・軍属慰霊祭」を始め、台湾関係の各種行事には欠かせない歌である。
 
作詞の本間雅晴中将は、同じく台湾・烏来にある高砂義勇兵慰霊碑」碑文の揮毫もしており、「文人将軍」として有名だったが、戦後フィリピンの所謂「バターン死の行進」責任者として不当な戦犯裁判により刑死する。これは親子二代にわたりフィリピンの利権を握っていた米マッカーサー将軍による報復裁判であった。
 
そのフィリピン・マニラの市街戦で戦死したのが、李登輝・前台湾総統の兄上で、これも何かの因縁と云えよう。
 
先日の台湾統一地方選「九合一選挙」において馬英九総統の国民党が大敗し、台湾本土化路線の民進党が躍進した。これは台湾国民が、「本省人」か「外省人」か、という意識よりも、「台湾」か「中国」か、という意識の下に選択した結果ではないだろうか。
 
去る3月の「サービス貿易協定」に抗議し、台湾の自由と独立を訴えた学生集団「太陽花(ひまわり)學運」に見られるように、もはや台湾では若い世代を中心に「本省人」「外省人」の意識が薄まっており、台湾こそが自国であるという“本土化の流れは決定的である。
 
振り返れば、その源流となったのが李登輝政権時代の一連の改革、そして後を継いだ民進党陳水扁政権であった。
 
李登輝先生は京都帝大から学徒出陣、陸軍少尉に任官し高射砲部隊で活躍した。帝国陸軍の魂を持った先生をはじめ、いまだ健在の台湾出身元帝国陸海軍将兵・軍属の皆さんがよく口ずさむのが、『台湾軍の歌』。
 
謳われている台湾防衛の精神が若い世代へ引き継がれ、日台の共栄に資するべく、私たち日本人も台湾を応援してゆきたいものである。
 
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