「川崎市子ども権利条例」
という、世界に冠たる無意味な人権保護条例が存在している。平成12年に日本で初めて制定されて以来、これを真似た自治体が雨後の筍の如く多数出現するという事態を招いた元凶の条例である。
“ごもっとも”な「子どもの権利」が高らかに謳われているこの条例は全部で41条もの条文があり、そのうち総則が8か条、「子どもの持つ権利」規定が8か条、「権利の保障」に関するものが12か条ある。
しかし、子供が子供に暴行・殺害されるという事案に対する規定は無い。
さらに、現実の子供の人権侵害事件に対する具体的救済について規定したものも、たったの1条(第35条)のみ。
そして違反者に対する罰則を規定した条項は、皆無である。
● 思うに川崎市のこの条例は、実際の子供の人権侵害案件に対応するために制定されたものであろうか?
例えば、謳われている「子どもの権利」そのものについては、
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・第11条: 子どもは、ありのままの自分でいることができる~
・第12条: 子どもは、自分を守り、又は自分が守られることができる~
・第14条: 子どもは、自分に関することを自分で決めることができる~
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等々、その「権利」の範囲が具体的にどこからどこまでか、またその「権利」がどういった場合に侵害されたと認定できるのか、そして権利侵害に対する罰則について、明確になっていない。
さらに条例「第4章 子どもの参加」の第29条、第30条において、
“子どもの市政参加”について妙に具体的に規定していたり、
「第7章 子どもの権利の保障状況の検証」第38条から第40条にかけての「子どもの権利委員会」なる、構成員と活動状況が市民に見えにくい組織に関する詳細な規定などを見てみると、その感を強くするのである。
特に致命的なのは、違反者に対する「罰則」が明確に規定されていないこと。しかもこの条例、制定されて以来、実際に起きた子供への人権侵害事件に適用された事例がない。つまり現実の子供への人権侵害に対処するには、全く役に立たない条例。
現実に適用できない法令は、無意味である。
むしろ未成年者が未成年者を暴行・殺害するという今回の事件の場合は、加害者側の未成年者が本条例(前記の第11,12,14条など)を盾にとってしまう可能性すらあるのだ。
「これは理念条例だから、見直す議論すら必要無い」
と結論付け、継続審査に回された挙句、廃案にさせられてしまった。
見直す議論すら、してはいけない条例とは、いったい何なのか?
無意味な条例の制定とその維持、そして条例に基づく役所組織への毎年数億円に上る予算配分、さらに役所から“市民団体”へのカネの流れは、まさに税金の無駄遣いに過ぎない。
数年前に札幌市でも同様の条例が採択されたというので、全文に目を通してみた。しかし 川崎市 のものと同様に、まるで使い物にならない。それどころか、子供をダシに使った人権活動家の願望がストレートに露出したものである。
私は声を大にして「こどもの人権」推進派の人に問いたい。
こどもの権利、権利と、美辞麗句はもう聞き飽きた。「こどもの人権」は一部活動家や政治家のメシの種では無い筈だ。それよりも、今回のような未成年者同士の人権侵害事案や虐待等の人権侵害事例への処罰を考えろ、と。
それが出来ない、またやる気も無いのなら、そんな運動は無駄である。従ってつまらん「人権ごっこ」はさっさと止めるべきである。
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