賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

北京に日本刀10万振りとは・・・

 
私の知り合いに、本業が刀の研ぎ師、副業がキャバクラ経営…という変わった人がいる。いつも“社長”と呼んでいるが、たまにそのキャバクラで飲むと、女の子抜きで社長と一時間近く延々、日本刀談義・歴史談義に費やしてしまう。社長も変わっているが、私も変わった客かも知れない。
 
さて、先日そこで社長から(刀剣)業界内情報として聞いた話では、なんと、
北京の『故宮博物院に日本刀が10万振り以上保管されている
・・・そうである。
 
皆様ご存知のように台湾と北京の故宮博物院が所蔵している物品は、シナを支配した歴代王朝のコレクションとして知られている。日本刀は天下に冠たる美術品なのでシナに在っても当然ではあるが、10万振りとは驚いた。
 
そして北京に10万振り以上ということは、台湾の故宮博物院にはそれ以上在るに違いない。国共内戦の折りに蔣介石の国民党は、目ぼしい宝物を台湾へ疎開させたからである。
 
故宮博物院の日本刀、その由来は、
 
1.遣隋使、遣唐使(7世紀初頭~9世紀末)が、隋、唐の歴代皇帝に贈呈したもの
2.シナ歴代王朝が美術品として収集したもの
 
現在、私たちが「日本刀」と認識している“反り”のついた刀が作られ始めたのは平安時代中期、特に「承平・天慶の乱」前後からで、それ以前の刀(「上古刀」という)は反りのない直刀(ちょくとう)であった。
 
「上古刀」とは古墳時代から奈良時代までに造られた刀の総称で、千数百年以上の歳月を経ているため、現存するものは多くない。奈良の正倉院や古寺社に伝存するもの、各地の博物館に所蔵されているものが大半である。
 
北京、台湾にある日本刀の内、「上古刀」の数は明確にはなっていないが、十数年前に日本の美術界、刀剣業界関係者が北京を訪問して向こうの関係者と打ち合わせを行った際、上古刀がかなり存在する事を示唆された由。
 
歴史遺産的な価値はもちろんのこと、時代による日本刀の製作過程の移り変わり、特に「鉄」の鍛錬技術の変化を解明する上で、専門家による調査は大変重要である。日本政府、特に文科省中共と台湾政府に申し入れて、保存状態や史料価値について調査を行うのが望ましいのではないだろうか?
 
関係各位のご意見を承け給うことが出来れば幸いである。
 
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