賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

歴史的なIR法案(カジノ法案)可決

 
 
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衆議院インターネット審議中継より、可決の瞬間)
 
去る122日、衆議院内閣委員会にてIR(カジノを含む統合型リゾート施設)推進法案が可決した。筆者はIR議連筋から傍聴を請われていたので、“見届人”として法案審議と採決の場に立会うという栄に浴した。
 
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今回のIR推進法案可決は「歴史的」な意味を持つものである。何故「歴史的」かと云うと、我が日本を統べる歴代の政権が禁じてきた「民設民営」の賭博場開設を政府自らが推進するという、我が国開闢以来はじめての出来事であるからだ。
 
古代から中世にかけて、日本で最も興隆を極めた賭博は「雙六」である。この「雙六」賭博の過熱に対して、持統天皇3年(689年)128日に雙六禁止令(「日本書紀」)が布告された。記録に残っている日本最古の賭博禁止令である。
 
「雙六」というのは総称で、使用するものは雙六盤と「賽子(さいころ)」。つまりサイコロ賭博は既に七世紀には日本で流行していたことが判る。ちなみにサイコロは古代メソポタミアやエジプト、バビロン、アッシリアなどの遺跡からも発掘されている、人類最古の賭具のひとつである。
 
次いで天平勝宝6年(754年)1014日に再度の雙六禁止令(「続日本紀」)が布告されている。天平勝宝孝謙天皇の御代だが、奈良・正倉院には先代の聖武天皇愛用の品と伝わる雙六盤が収められていることから、「雙六」賭博は身分の上下を問わず広く普及・過熱していたことが窺える。
 
平安時代になり「雙六」賭博は益々繁栄する。その反証として延喜5年(905年)に編纂が始まった格式(律令の補助法令)『延喜式』に「雙六は高下を論ぜず一切禁断」とある。また白河法皇の「賀茂河の水、雙六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」(『平家物語』)という言葉も広く知られている。
 
鎌倉時代室町時代に至っても、賭博の流行に頭を悩ました歴代の為政者たちは度々禁令を発している。そして江戸時代になると、従来のサイコロ系賭博に加えてカルタ賭博や富くじの流行、更には文芸ジャンルの筈の俳諧(俳句)が賭けの対象となった俳諧賭博などの多様な賭博が盛んとなり、それに対する幕府および各藩の取り締まりもまた頻繁となったのである。
 
そして明治時代、新政府は賭博禁止を継承し明治13年(1880年)に刑法が布告された。これが現代に受け継がれている賭博禁止の根拠となっている。
 
この政権による賭博統制の“伝統”が綻びを見せたのは、第二次世界大戦での敗戦によってであった。戦後復興を大義名分として宝くじ、競馬、競輪、競艇が次々と「公営ギャンブル」として開始された。しかし建前上はあくまでも戦後復興という一時的なものであり、それが現在に至っている訳である。
 
ところが今回のIR推進法案の可決は、政府自らが博奕場を公認するためのIR実施法案制定を求めるものであり、しかもその博奕場が「民設民営」であるという特徴を有している。言わば為政者が率先して賭博を公認するもので、日本の歴史始まって以来の出来事なのである、
 
今のところ諸外国、特にシンガポールの事例を参考に、実施に係る諸問題に関して研究討論と法制化が為される筈である。しかし日本初の事態と云う認識を基に、他国事例にこだわることなく我が国特有のIRの運営と付随する諸問題について、広く検討を行ってゆく事が求められるのである。
 
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