政府はICAN事務局長が要求していた安倍首相との面会を断った由。会う必要もないのだから、当然である。
時事通信1月15日配信記事↓
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安倍首相とICAN局長の面会断る=政府
菅義偉官房長官は15日午前の記者会見で、昨年12月にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の事務局長で来日中のベアトリス・フィン氏から要請を受けていた安倍晋三首相との面会を断ったと明らかにした。菅氏は「日程の都合上難しい」と説明した。(以上引用)
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この事務局長は先週13日に長崎を訪問したそうな。
NHKニュース1月13日配信記事↓
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ICAN事務局長「日本は核廃絶のリーダーになるべき」
去年、ノーベル平和賞を受賞したICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンのベアトリス・フィン事務局長が被爆地・長崎市を訪れ「人類で初めて原爆を体験した日本は核廃絶に向けた世界のリーダーになり核兵器禁止条約に参加する道義的責任がある」と訴えました。(以下略)
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阿保か。
道義的責任があるのは、連合国側への降伏に向けて調整中だった日本に対して、それも主要軍事都市ではない広島、長崎の市街地に対して核爆弾を投下したアメリカ合衆国である。
以前にも述べたが、アメリカは広島、長崎になぜ原爆を投下したのか。それは昭和20年の時点で日本側には、核兵器もしくは同等の破壊兵器を米本土へ報復攻撃する能力が失われていたからである。決してアメリカが自己正当化のために主張している、本土決戦回避のためとか戦争早期終結のためとかでは無い。
従って、人類史上唯一の戦争被爆国である我が国に核兵器廃絶を実現していく責務があるという考えはおかしい。むしろ「人類で初めて原爆を体験した」唯一の被爆国である故に、既存核保有国よりも報復のための核武装の権利を有するのではないだろうか。
「核があるからといって戦争にはならない。現に日本は核を持っていなかったために、核でやられたではないか」
と述べたのである。これは当たり前と云えば当たり前で、自国民保護のための有効な反撃手段が無ければ敵の思いのままにされるのは自明の理である。
ちなみにベアトリス・フィン事務局長はスウェーデン出身。WWⅡの期間中、スウェーデンは中立を標榜していたが、大戦前半のドイツ優勢時期には独側の圧力に負けて武装独兵延べ200万人の自国領通過を許している。
ところがドイツ敗戦後には、抑留した降伏ドイツ兵を今度はソ連の圧力により、ソ連側に引き渡すという非道義的・非人道的行為を働いている。これらのドイツ人たちはシベリアの収容所に送られ、帰還者は僅かと云う惨状を呈した。
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