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日本三大怨霊「将門公首塚」の真向かいに、大手町初の「住」機能付き複合ビル建築着工

 
我が国経済の中枢・東京都千代田区大手町。昼間人口は7万人を超えるが、なにしろオフィス街のため居住マンションも無く住民登録人口が「0」。従って夜間人口は「0」人という極端な人口構成の地域である。
 
ところがここに三菱地所が、大手町で初の「住」機能を備えた複合ビル建設に着工した。「(仮称)大手町1-1計画B棟新築工事」で、施工は竹中工務店。去る4月14日に地鎮祭が行われた由。
 
 
そしてこの大手町地区は、神田明神の氏子区域である。
 
隔年の5月に斎行される日本三大祭りのひとつ、神田明神神田祭では大手町の御神輿も巡幸するが、なにしろ住人が皆無のため、担ぎ手は全て大手町地区の企業の勤め人ばかり。
 
この地区に「住民」が生じるとすると、「神田祭」の大手町神輿も恒常的担ぎ手が確保される筈なので“神輿存続の危機”は回避されるのだが、アパート運営のシンガポール・アスコット社が展開しているのは超高収入層をターゲットとした高級マンションばかり。おそらく入居者は日本人よりも外国人の方が多くなるであろう。
 
ただでさえ大手町神輿はその場所柄、外国人担ぎ手の比率が異常に高いときている。もしかしたら担ぎ手全員が外国人(それも欧米系中心)という珍光景が見られるかも知れない。まあ、神田祭と日本の伝統を理解し尊重して頂ければ、それはそれで有難いことではある。
 
●そしてもう一点、この「(仮称)大手町1-1計画B棟新築工事」で気になるのは、建物の真向かいにある平将門公の首塚東京都千代田区大手町1丁目2-1)。天慶3(940年)の「天慶の乱」で討死した平将門公の首級が葬られたと伝えられる場所である。
 
そもそも大手町を氏子区域とする神田明神の御祭神は、一之宮の大黒様、二之宮の恵比寿様ときて、三之宮は平将門公」である。そして神田明神は元々、現在の将門公首塚の地に鎮座していた。現在の地に移転したのは元和2年(1616年)、徳川家康公の江戸入府にともなう都市計画の一環として、幕府が江戸城の表鬼門を守護する場所にあたる現在の地(東京都千代田区外神田2丁目16-2)に社殿を造営したためである。
 
しかし幕府は何故か、「首塚」だけ移転させなかった。崇徳上皇菅原道真と並んで「日本三大怨霊」と言われた将門公の怨霊に配慮したためであろう。
 
そして昭和期における「首塚」を巡っての「将門公の祟り」は、もはや都市伝説と化しているので皆様もご存知のことと思う。
 
すなわち、関東大震災で大蔵省が全焼したので「首塚」を破壊して仮庁舎を建てた後に、当時の大蔵大臣をはじめとする十数名が死亡した件。さらに終戦この場所にマッカーサー進駐軍総司令部(GHQ)が首塚を破壊して専用駐車場を造ろうとしたところ、ブルドーザーの運転手が転落死するなど不可解な事件が起きたため、GHQが建設をあきらめた件。
 
近年では、真向かいにあった「長銀」で、不遜にも首塚に尻を向けた配置のままだった某部長氏が急死した件。その長銀があった場所が、今回三菱地所がプロデュースする複合ビル「(仮称)大手町1-1計画B棟」である。
 
現在の「首塚」は、隣接する三井物産の社員が交代で清掃管理を行っている由。新複合ビルも各テナントとマンション住人が「首塚」に尊崇の念で接してくれれば、不可解な怪異は発生しない筈である。
 
つくばエクスプレス」の開通で将門公関連の「気」が首都に取り入れられ、また「東京スカイツリー」の開業と「東京タワー」の存続で、東京の風水的環境は好転している。そして旧江戸城の皇居内では、明治二年の奠都以来百数十年の歳月を費やして、御皇室は「首塚」からそろりそろりと離れている。帝都の風水バランスは現状では上手くとれていると評していいだろう。
 
ここで万一「首塚」に不敬な出来事があったならば、オリンピックを控えた東京の「気」のバランスが狂ってくる事になる。三菱地所および関係各位には、是非とも以上の事実を踏まえて適切な対応をお願いしたいものである。
 
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