安政七年三月三日(1860年3月24日)、「安政の大獄」で攘夷派志士や反対派の弾圧を行った大老・井伊直弼が江戸城に登城途中、桜田門外( 東京都千代田区 )にて水戸・薩摩の浪士らに襲撃され、首を取られた。
世に言う『桜田門外の変』である。
昭和六年(1931年)の日活映画『侍ニッポン』は、この事件を題材にした郡司次郎正の小説を映画化したもので、主演は名優の大河内伝次郎。映画の主題曲もヒット作となった。
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『侍ニッポン』
作詞:西条八十、作曲:松平信博、唱:徳山璉
♪ 人を斬るのが侍ならば
恋の未練がなぜ斬れぬ
伸びた月代(さかやき)寂しく撫でて
新納鶴千代 苦笑い
♪ 昨日(きのう)勤王、明日(あした)は佐幕
その日その日の出来心
どうせおいらは裏切者よ
野暮な大小 落し差し
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ところが恋仲の菊乃との縁談を断られ自分の出生に疑いを持つようになってから、いつしか道場の親友、竹之介に勧められ酒に溺れ、自堕落な生活を送るようになる。
竹之介らの尊皇攘夷思想に惹きつけられるものの心底共鳴できない鶴千代はある日、ついに自分の出生の秘密を知ってしまう。
そして桜田門外の変当日、竹之介ら水戸浪士が父直弼を暗殺する計画があるのを知り、鶴千代は雪の中を現場に駆けつけるのだが…
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♪ 流れ流れて大利根越えて
水戸は二の丸三の丸
俺も生きたや人間らしく
梅の花咲く春じゃもの
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その意味で『桜田門外の変』は時代のターニングポイントとなった事件であった。テロは必ずしも絶対悪ではない。政治に携わる者にとって、最後は命のやり取りで決着をつけるのも一つの流儀である筈だ。従って本事件は「時代を進めたテロ」と言えるだろう。
ただ、井伊大老を襲撃した浪士たちも、その一人ひとりに各々の人生があった。武士であるから襲撃による討死は覚悟の上としても、やはり「死」の恐怖や家族への思いがあったろう。
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♪ 命とろうか 女をとろか
死ぬも生きるも五分と五分
泣いて笑って鯉口切れば
江戸の桜田 雪が降る
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それでも起つべき時には起つ。サムライの精神とは、これである。私も斯くありたいと思う。
ちなみに襲撃浪士18人の内、1人が闘死、4人が負傷し自刃、8人が自首(その後、幕吏により斬首)、3人が後日捕縛され斬首。生きて明治維新を迎えることが出来たのは2名だけであった。
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