賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

パチンコ依存症対策は不要

 
筆者はパチスロメーカーや金銭判別機メーカーの株主なので、パチンコ・パチスロの客が増えれば自分の儲けにつながる。しかし今日は大晦日ということでもあり、その立場とは相異なる本音を書いてみたい。
 
既に報じられているように、IR推進法案の成立に伴いギャンブル依存症対策も強力に推進されることとなった。そして“ギャンブル”の範疇にパチンコも含まれるという見解が打ち出されている。
 
これはグレーゾーンだったパチンコを明確にギャンブルと規定する、画期的な出来事である。
 
そして実際のパチンコ依存症の対策としては出玉規制の実施が有力視されているそうだが、筆者の本音としては「パチンコ=ギャンブル」と規定されるだけで十分ではないかと考える。
 
つまり、世界各国のカジノで実績がある一般的なギャンブル依存症の病理分析と対策については、カジノ後進国たる我が国でも取り入れる必要があろう。だがそれは、カジノの競技種目の王道たるバカラなどのテーブルゲームや競馬などの公営ギャンブルが対象となるだろう。
 
そしてスロットマシンに代表される電子機械系のものについて、例えば『大当たり制限』やら『払い出し制限』などの規制が依存症対策のひとつになっているという事例は、聞いたことが無い。
 
パチンコ、パチスロも同様で、所詮は客が負けるようにプログラミングされている電子機械でしかない。「パチンコ=ギャンブル」で締め付けは必要だが、こんなくだらない「ギャンブル」に対して依存症対策の予算付けなど不要なのである。
 
賭博の世界は「自己責任」が基本中の基本。だからこそ人生に通じるものがある。当ブログのサブタイトルで『人生如賭博』と謳っているのも、確率論に基づいた賭博の不確実性と人生の不確実性が似ているからこそである。
 
しかし最初から負けの確率が異常に高いと解り切っている電子機器ゲームに嵌っている者は、「自己責任」もへったくれも無い単なるアホでしかない。こんな連中は病理解析学者の学術研究のための「モルモット」的な存在にしか過ぎないので、ギャンブル依存症対策の予算付けから外すべきである。
 
よりハッキリ言うなら、パチンコ依存症患者というのは社会が救済する必要のない、甘ったれた反社会的な存在。規制と対策を行うのであれば、連中を治療するのではなく、パチンコ依存から新たなる犯罪・トラブルを仕出かさぬように「隔離」すべきである。
 
では皆さん、よいお年を。
 
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