「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや」
十八歳で吉田松陰門下となり、文久二年(1862年)藩命により幕府使節随行員として長崎から上海へ渡航。翌年六月には士農工商の身分制度に拠らない志願兵の「奇兵隊」を創設、その後脱藩して投獄されたり、攘夷の報復攻撃である四ヶ国連合艦隊の下関攻撃に際しては和議交渉の全権を託され、諸外国の彦島租借要求を拒絶(日本領土の植民地化を阻止)したりと人生の変転が目まぐるしい。
肺結核で病床にあった彼の辞世として知られる(但し死の前年に詠まれたもの)句が、有名な
「おもしろき こともなき世に おもしろく」
これに福岡の野村望東尼が続けた句が、「すみなすものは 心なりけり」
つまりこの世を面白いと感じるか、面白くないと感じるかは、心の持ち方次第である…という意味になる。高杉はそれを聞いて「おもしろいのぉ」と言ったあと息を引き取ったと云われているが、本当に面白いとおもったかどうかは判らない。
何故なら心の持ち方次第で世の中が違って見えるとは、現代でも人生相談とかでよく聞かれる回答でもあるし、私も概ね異議はない。しかし、それで悟ってしまっては、維新の変革など必要なくなってしまうではないか。野村望東尼は仏教者だからそれでいいかも知れないが、命懸けで時代を変えるべく動いた幕末の志士たちは、立場が無くなってしまう。
高杉晋作としては
「クソ面白くもない世の中だったが、そんな中で他人並みの平穏ではなかった俺の人生、しかし果たしてそんなに面白かったか?」
と言いたかったのではないだろうか。
そして彼の言う「おもしろく」とは、自分の命を代償としている。
高杉の句「おもしろき こともなき世に おもしろく」、これはインターネットや各種情報端末の発達で、送受信の情報量が爆発的に増えた現代の我々にも当てはまる。
「おもしろき こともなき世」は、流れのままに従っていれば人生それなりに過ごせてしまう世の中。そんな世に氾濫する、毒にも薬にもならない情報やらゲームやらの渦の中で埋没して過ごすのか。
それとも「日本国憲法9条墨守」やら「人権侵害救済法案」やらで、“奴隷の平和”を保障されるよりは、一命を賭してもよいから「自由」と「独立」を守るべく動くのか。また例えば、放置しておいたところで日常生活には何の関わりも無いように見える「従軍慰安婦もとい朝鮮売春婦の問題」に対して、日本の名誉を守るべく立ち上がるのか。
高杉晋作は時を越えて我々に問うているのかも知れない。
≪初出:「イザ!ブログ」2008年4月20日エントリー(消滅)を改題・加筆≫
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