「イスラエル国防軍は勝利の軍隊であることを思い出して欲しい。
我が軍は敗北には慣れていない」
その6年前、俗に「六日戦争」と云われる1967年の第三次中東戦争でエジプト軍はあっけなく敗退。自軍の不甲斐なさに呆然としたナセル・初代大統領は、なり振り構わぬ軍の近代化と訓練を推進する。
1970年にナセルは心臓発作で死去するが、彼の盟友である後継のサダト大統領もその路線を継承して、今度は先制攻撃の挙に出たのである。
いままで負けっぱなしだったエジプト兵の士気は高く、アラブ側からの奇襲攻撃を想定していなかったイスラエル軍の防衛線は崩壊の危機に瀕した。ゴラン高原方面ではシリア軍の攻撃に対して奮戦したイスラエル軍だが、スエズ運河方面ではシナイ半島を席巻され、文字通り玉砕する部隊も現れたのである。
●苦戦・敗戦の時こそ問われる指揮官の姿勢
その最中、イスラエル国防軍を退役していたシャロン少将は急遽軍に復帰し、前線を駆け巡って動揺する隷下部隊を掌握、エジプト軍の攻勢を鈍らせる事に成功した。彼が自軍司令部に戻ると、初めての苦戦に右往左往する幕僚たちを落ち着かせるために放った言葉が、冒頭の台詞である。
戦争自体は米ソの仲裁で22日に停戦となるが、この戦いでシャロンは国民的英雄として内外に認められる存在となった。1973年には国会選挙で当選し、政治家としてキャリアを積んでゆく。
スプートニク10月6日 19時53分配信記事↓
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ロシア軍とイスラエル軍 シリアでの行動調整について協議
匿名を希望するイスラエルの将校は、次のように語った-
「10月6日、イスラエルのゴラン参謀次長が、ロシアのボグダノフスキー第一参謀次長と会談する。会談はテルアビブで開かれる。これは2日間の日程で行われるロシア軍代表団イスラエル訪問の一部となる。会議では、地域における行動連携などについて話し合われる」。
イスラエルのネタニヤフ首相が9月にモスクワを訪問した時、シリアでの連携・調整メカニズムの創設について基本的合意に達していた。なおネタニヤフ首相のモスクワ訪問には、イスラエルのアイゼンコット参謀総長が同行した。
最近数年間、外国のマスコミは、イスラエル空軍がシリアでの空爆、倉庫や車列への爆撃、偵察飛行に関与しているという情報を一度も報じていない。イスラエルは通常、このような報道についてはコメントしないが、危険性が生じた場合には、軍事力を行使する用意があると、その都度発表している。(以上引用)
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