1944年8月、ナチス=ドイツ占領下にあるヨーロッパ東西の2大都市で、対独武装蜂起が発生した。東は8月1日のポーランド「ワルシャワ蜂起」、そして西は8月19日のフランス・パリにおけるレジスタンス蜂起である。
ワルシャワ蜂起を主導したのは「ポーランド国内軍」、パリ蜂起を主導したのはレジスタンスの統合組織である「全国抵抗評議会(CNR)」とその傘下の「フランス国内軍(FFI)」であった。共に劣悪な装備と不十分な軍事訓練しか受けていない(もしくは全然訓練されていない)人々による蜂起だったが、両者の明暗を分けたのは正規軍の対独戦闘参加の有無だった。
即ち、パリではシャルル・ド・ゴールの臨時政府率いる自由フランス軍の機甲師団とアメリカ陸軍がレジスタンスの援護に駆けつけて入場を果たしたのに対し、ワルシャワでは市内を流れるヴィスワ川対岸地区に集結していたソ連赤軍が蜂起を傍観し、ポーランド国内軍を見殺しにしたのである。
ポーランド国内軍を指揮する在ロンドンのポーランド亡命政府とソ連との関係は良好ではなかった。ソ連はかつてカティンの森事件で赤化する見込みのない捕虜ポーランド軍将校、公務員、聖職者ら22,000人を虐殺しており、ワルシャワでもポーランド国内軍にイニシアティブを握られることを嫌ったためである。
結局、ワルシャワ蜂起は10月2日にポーランド国内軍の降伏という形で鎮圧された。市街はヒトラーの「ワルシャワ消滅命令」と、ドイツ囚人部隊やドイツ側についたロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人部隊らが繰り広げた暴行虐殺により、徹底的に破壊された。
それに対してパリでは、同じくヒトラーが「パリ破壊命令」を発令したが、ドイツ軍の防衛司令官ディートリッヒ・フォン・コルティッツ大将と中立国スウェーデンのラウール・ノルドリンク総領事らがパリ破壊回避に動き、8月25日のフランス軍、米軍によるパリ解放が達成されたのである。
で存分に描かれている。重厚、と云うよりも重苦しい圧迫感が伝わってくる傑作で、第10回カンヌ国際映画祭の審査員特別賞を受賞した。
一方のパリ解放は米仏合作映画の
『パリは燃えているかParis brûle t-il?』(レネ・クレマン監督、1966年)
で描かれ、感動的な作品となっている。
この映画のテーマ曲が、「Paris en colère」(怒れるパリ)。
フランスの有名なシャンソン歌手、ミレイユ・マチューやティノ・ロッシが唄っており、現代でも公式行事でよく唄われる名曲である。
(ご参考動画)↓
Paris en Colère, par FlorianLACONI
Mireille Mathieu - Paris enColère
Tino Rossi - Paris En Colere
特にサビの部分の歌詞が感動を呼ぶ。
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On veut être libres
A n'importe quel prix
On veut vivre, vivre, vivre
Vivre libre à Paris
私たちは自由でいたい
どんな代価を払っても
私たちは生きたい、生きたい、生きたい
パリで自由に生きたい
(筆者訳)
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「自由」とは無条件に与えられているものではなく、代価を払ってでも獲得すべきもの、勝ち取るものである・・・ということが切実に伝わってくる一節である。
その結果に明暗が分かれたとはいえ、パリとワルシャワの双方で決起した人々の「自由」への戦いは、決して過去のものでは無く現代に続いている。
近くは9月4日に実施される香港の立法会議員選挙。2014年9月に「雨傘革命」で決起した香港市民の「政治的自由」への戦いを傍観している訳にはいかない。過去エントリーで既に述べたように、私も汎民主派の応援のため現地入りする予定である。
(2015年6月、香港立法会議会内にて)
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