昨日(6月6日)フランスで「ノルマンディー上陸作戦70年記念式典」が挙行され、関係各国の首脳が参列した事は皆様ご承知の通りであろう。
1944年6月6日の「D-DAY」つまりノルマンディー上陸作戦を題材にした映画は、有名な『史上最大の作戦』をはじめ幾つかあるが、近年の傑作は何といってもS・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』に止めをさす。
後に「血のオマハ」と呼ばれたノルマンディー、オマハ・ビーチ上陸作戦の凄惨な描写から始まり、兄たちが全員戦死した四人兄弟の末弟である一人の二等兵を救出するという特殊任務に就いた主人公と部下たちの悪戦苦闘を描いた、感動の名画だった。
有名な映画は脚本が書かれた後でノヴェル化されることがよくあり、この「プライベート・ライアン」も小説版が書かれて新潮文庫に収められた(ただし現在は絶版になっている)。この中で、歴戦の将校という設定の主人公・ミラー大尉が上陸用舟艇でオマハ・ビーチに上陸する直前の、死と向かい合わせになった状況への思いを表す心情描写が実に興味深い。
「幾多の激戦を生き延びてきたものの例に漏れず、平均の法則から逃れていることを、彼は重々承知していた。おなじゲームで何度つづけて7を出すことが可能なのか?」
「つづけて7を出す」、これはアメリカで最もポピュラーな博奕「クラップス」で、最初にサイコロ2つを投げて合計「7」か「11」の目が出ると勝つ「パス・ライン」に賭けて、勝ち続けるという意味である。
実際にカジノで「クラップス」をプレイした方なら判ると思うが、最初の第一投でストレートに総和「7」の目を出すこと自体は確率1/6なので、他の目を出す(例えば「2」「12」なら1/36)よりも難しいものではない。問題はそれを何度も続けられるか、という処にある。
主人公・ミラー大尉の戦歴は、北アフリカ戦線、イタリア戦線に従事していたという設定であることが、劇中および小説版での本人や部下の言葉によって窺われる。特に補佐役のホーヴァス軍曹の台詞に、
この戦いは数で勝る筈の米英仏軍が、名将ロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団によってあっという間に蹴散らされ、1週間で戦死・行方不明者1万名以上の大損害を出した戦いで、それを生き延びたミラー大尉は、勝利も敗北も知り抜いたベテランだということである。
「おなじゲームで何度つづけて7を出すことが可能なのか?」、博奕の確率論から見て、サイコロ2つを振って同じ総和の数を何度も出し続けることは珍しい。
そしてカジノとは違い、戦場で賭けるものは「金」ではなく「生命」。
「クラップス」が盛んになったのは南北戦争の頃からで、第1次大戦、第二次大戦とアメリカの兵隊たちは暇があれば「クラップス」に興じていた。生命のやりとりをしている者たちが洋の東西を問わず博奕に夢中になるのは、博奕につきものの「運」「ツキ」を推し量り、我が物にして生き延びたいという無意識が為せる業なのかも知れない。
そう、「賭ける」という行為には、人間の持つ生存本能を呼び覚ます「何か」があるのだろう。これは私が「賭人がゆく」エントリーを書き続けている理由のひとつでもある・・・
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