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日中開戦80年~靖国参拝に思う

 
 
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靖國神社の春季例大祭は、421日から23日までの3日間執り行われる。今年も安倍首相は例大祭に出席しない代わりに、真榊料を奉納するであろう。
 
好意的に解釈すれば、“いまや「靖國参拝」は中韓攻撃のネタとなりつつあるから、大切に使わないと”…ま、一種のご都合主義ではあるが。
 
そしてまた、首相の靖國参拝、特に8月15日に参拝するか否かが取り沙汰されるであろうが、特亜3国(中朝韓)の異常行動で世界的に緊張感高まる現在、わざわざ「降伏受諾した日」に出向いて戦没者の慰霊の祈りを捧げるなんぞナンセンスである。
 
「負けた日」に参拝して、一体どうするのか。
 
斯く云う筆者は靖國神社崇敬奉賛会の終身正会員だが、実は数年前まで「終戦記念日に参拝」するという習慣は無かった。「慰霊で不戦の誓い」だとか、「過ちは繰り返しません、安らかにお眠り下さい」だとかで、靖國の御霊が本当にお喜びになるとでもお思いか?
 
今の我が国にとって最も危険な敵は中国、
そして今年は日中開戦80周年である。
 
中共は最近、昭和6年(1931)満州事変をもって日中戦争の開始とし、14年間ずっと戦争状態にあったと学校教育で教える方針に変換したが、それは全くの虚構である。
 
満州事変は昭和8年(1933)5月31日の塘沽協定成立をもって区切りとなっている。また昭和12年(1937)7月7日の盧溝橋事件は9日に停戦協議が成立、下旬に至るまで停戦協定について日中双方で交渉が続いていた(但し中国現地軍が暴走して日本側への挑発を繰り返していた)。
 
しかし蒋介石は1936年秋より、在中ナチス・ドイツ軍事顧問団の提案を容れて対日戦のための兵力増強に励み、ドイツ軍装備と訓練を取り入れた精鋭部隊を続々と編制した。そして昭和12年(1937年)8月13日、中国軍精鋭3万が上海日本人居留区を包囲し、総攻撃を開始した。
 
 
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1937,ドイツ軍装備で固めた中国軍の中央軍校学生部隊。中華民国国防部蔵)
 
これは明らかなパリ不戦条約違反であり、1937813日は真の日中開戦の日であるのみならず、事実上の第二次世界大戦開始日と言っても過言ではあるまい。
 
それらを考えれば、首相の適切な靖國参拝日は下記の日が妥当ではないだろうか。
 
・7月29日 …通州事件(昭和12年)=邦人大虐殺事件
・8月1日 … 清国に宣戦の詔勅渙発日清戦争(明治27年)
・8月13日 … 第二次上海事変勃発(昭和12年)=日中開戦
・9月17日 … 黄海海戦、清国北洋艦隊を壊滅(明治27年)
・12月13日 … 南京占領(昭和12年)
 
そして首相の靖國参拝の意味は、「平和への誓い」なんていうトロくさいものであってはならない。
 
「よくぞ戦って下さりました。私たちも後に続きます」
という誓いと、
 
「日本の発展のために頑張ります。ご加護をお願い致します」
という祈願であるべきだ。
 
それが出来ないようなら、靖国参拝すべきではない。
 
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