賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の唄『討匪行』と支那事変

 
日本の軍歌の中でも「名曲」と謂われるものは、単に勇ましい曲よりも哀愁を帯びた唄の方が多い。
 
昭和7年12月に帝国陸軍関東軍参謀部が選定発表した、その軍歌の名曲の一つがこれである。
 
『討匪行(とうひこう)』
作詞: 八木沼丈夫
作曲: 藤原義江(唄も)
 
♪ 
1.どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ  三日二夜を食もなく
雨降りしぶく鉄兜(てつかぶと) 雨降りしぶく鉄兜
 
2.嘶(いなな)く声も絶えはてて  倒れし馬のたてがみを
形見と今は別れ来ぬ  形見と今は別れ来ぬ
 
この「討匪行」、現代人の感覚で聞くとやる気を失ってしまいそうな、まるで反戦厭戦歌に聞こえるが、当時の陸軍が制定した正規の軍歌である。
 
♪ 既に煙草はなくなりぬ  頼むマッチも濡れはてぬ

飢え迫る夜の寒さかな  飢え迫る夜の寒さかな

 
作詞の八木沼丈夫は歌人、陸軍軍人。関東軍での従軍経験があるだけに、厳しい自然環境と補給の途絶の中を黙々と歩む情景、友軍や戦友との再会、斃れた敵(匪賊)にも花を手向けて弔うなど、現実の匪賊討伐の労苦がまざまざと実感できるリアルな歌詞を作った。
 
これが当時の民衆にも受けて、純軍歌ながら軍・民の別なく愛唱された。
 
また唄の地理設定は満州だが、歌詞にある泥濘は中国戦線に共通したものである。
 
昭和12(1937)8月の第二次上海事変から115日の杭州湾上陸と上海前面での激戦、1213日の南京陥落まで、日本軍はシナの泥濘とナチス・ドイツ陸軍顧問団に指導された中華民国軍の野戦築城に悩まされた。
 
(ご参考)2014310日エントリー

 (https://blogs.yahoo.co.jp/hkg_fan/12624091.html)


 
当ブログで度々述べているように、中国とナチス・ドイツが提携関係にあった事実は、現代の中共にとって最も触れられたくない歴史のひとつである。
 
それにしても当時の日本軍はドイツから酷い目に遭わされたにも関わらず、日独伊三国同盟まで結んでしまったのだから愚かであった。そして日米交渉の挫折と昭和16128日の真珠湾奇襲…
 
♪ さもあらばあれ日の本の 我はつわものかねてより
草生す屍(かばね) 悔ゆるなし
 
ドイツに攻められ虫の息のソ連を助けるために日米開戦を欲した米ルーズベルト政権の挑発(ハル・ノート)に乗ってしまった結果、負けて累々たる屍を晒すだけでなく、まともな憲法改正すら出来ない国家になってしまったとは。
 

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