作詞、作曲: 三上卓
♪
一、泪羅(べきら)の淵に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血汐湧く
二、権門上に驕れども 国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし
三、嗚呼人栄え国滅ぶ 盲(めしい)たる民(たみ)世に躍る
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり
(全十二番)
この唄は巷の昭和歌謡大全集やカラオケでは、『軍歌』のカテゴリーに分類されているが、それは大きな間違いである。軍部からみれば、軍人の政治関与と下克上を奨励しかねない歌詞であり、軍の統帥の根幹を揺るがすもの。
当然、軍非公認の唄である。
日本史上初の普通選挙である第16回選挙が2月に行われたが、政財界の腐敗乱脈が激しくなったのもこの頃で、その流れに義憤を抱いた三上が昭和5年にこの唄を作ったのは、まさに時代を象徴していると云えよう。
権藤は明治元年、久留米の国学者の家に生まれた。国学を研究する傍ら、福岡・「玄洋社」の内田良平と知り合い、内田が主宰する「黒龍会」に参画。後に 五・一五事件の青年将校たちに思想的影響を与えたという嫌疑で逮捕されるが、無関係だったことが明らかとなり釈放される。
その権藤の影響を受けた三上中尉らが五・一五事件の際に襲撃したのが、時の首相・犬養毅であった。犬養は「玄洋社」頭山満の盟友であり、「話せばわかる」と青年将校らを制したものの射殺された。犬養の死は玄洋社にとって大きな痛手であった。
平成5年(1993)10月20日、野村氏は抗議のため訪れていた朝日新聞社東京本社の社長室にて、社長ほか朝日幹部の面前で拳銃自決した。
『月光仮面』の作者・川内康範氏は野村氏を評して、「日本浪漫派の最後の一人」と書いていたが、惜しむらくは、野村氏の衝撃的な自決をもってしても変えられなかった朝日新聞社の反日体質である。日本の自主独立とヤルタ・ポツダム体制の打破は今後展開される国民運動の主題であるだけに、残念である。
しかし「青年日本の歌」の、この一節には共感を覚える。
九、功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠
人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう
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