賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

今月の詞:土方歳三「一杯だけだぞ」

 

昨年5/22封切り予定だったが、コロナ禍で公開延期となっていた、司馬遼太郎原作「燃えよ剣」を映画化した燃えよ剣岡田准一主演)。既に報じられているように2021年10月15日に公開が決定している。

 

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その主人公は新撰組副長・土方歳三である。

 

戊辰の役の最終局面となる明治元年(1868年)10月、榎本武揚旧幕府軍が艦隊を擁して蝦夷地の箱館(函館)に割拠した「箱館戦争」。土方は選挙により「陸軍奉行並(陸軍次官に相当)」に選出され、箱館政府の重鎮となる。

 

明治2年(1869年)4月9日に新政府軍が蝦夷地南西部の乙部(現・北海道乙部町)に上陸した。彼らは箱館奪還を目指して3方向から進撃を開始したため、土方は最短ルートである「二股口(現・北海道北斗市中山峠)」に軍勢を率いて布陣、4月13日~4月29日(1869年5月24日~6月9日)まで新政府軍の進撃を阻止したのである。

 

戦闘は陣地防衛の激しい銃撃戦となり、新政府軍は土方軍の2倍の兵力を注ぎ込んだものの最後まで主要陣地を攻略できず、逆に土方軍の反撃で指揮官の駒井政五郎(長州藩士、吉田松陰門下)が戦死するという激戦であった。

 

この「二股口の戦い」で土方が指揮した軍勢は直属の新撰組ではなくフランス式訓練を受けた旧幕府歩兵隊の兵士達だった。激しい戦闘の合間に土方は各陣地を廻って、自ら兵士達に酒を振る舞ったというエピソードが残っている。

 

土方の側近だった旧新撰組島田魁の日記に、「総督自ら樽酒を携え、諸壁して兵に贈り謂う、(中略)吾、重賞を与う。しかれども、酔いに乗じて軍律侵すを患い、ただ一椀を与うのみ」とある。

 

「みんな、よく頑張ったな。しかし酔っ払って軍律を破ると困るから、一杯だけだぞ」と指揮官自ら酒を振る舞う土方の姿が目に浮かぶようである。そして兵士達も、新撰組の鬼と評された土方の意外な姿に驚き、士気が上がったと云われている。

 

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土方歳三への同時代の人の評価はまちまちである。総じて京都の新撰組副長時代は冷徹・峻厳な「鬼副長」として知られた土方だったがしかし、幕府瓦解後の会津戦争箱館戦争を通して180度人格が変ったかのような変化だったという。

 

「生質英才にて飽迄剛直なりしが、年の長ずるに従い温和にして人の帰する所赤子の母を慕うが如し」。これは最後まで戦った新撰組隊士の中島登が土方について書き残した一節。

 

また榎本武揚は後年、土方を評して「入室伹清風(にゅうしつしょせいふう)」。土方が部屋に入ってくると一陣の清風が吹くような、爽やかな人物だったと回顧している。

 

そんな土方歳三の最期は明治2年5月11日、新政府軍の箱館総攻撃に於ける反撃戦闘の最中であった。馬上指揮していた土方は狙撃され、腹部に銃弾を受け戦死。享年35歳。

 

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