賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

折り鶴送りは日本人の伝統芸能か

 

ウクライナへの「折り鶴」送りについて賛否両論が巻き起こり、ちょっとした騒動になっている。流石に日本から遠く離れたウクライナ本国へ折り鶴を送りつけている輩はいないようだが、先月訪れた在日ウクライナ大使館前には折り鶴や花束が溢れていた。

 

これに関連して最近、下のような東日本大震災の折りのTVニュース画面がネット上でよく見られている。

 

 

会社勤めの頃、あの震災の翌月に福島県宮城県各所の被災現場の状況検分に出向いたが、思い返せばあの時、被災地各所には「折り鶴」の束が溢れていた。せっかくの「善意」だから受け取る方も仕方なかったのだろうが、確かに困った物だったのだろう。

 

もっともあの時は物質的な「善意」も所によっては空回りしていた。例えばチャンネル桜のM社長が支援物資(水)を届けに被災施設に乗り込んだものの、水は足りていると受け取りを断られたのに腹を立て、被災者に説教し謝罪させるといった一幕もあった。

 

M社長「こうやって支援に来ている人間の気持ちはどうなるですか!」

被災者「すいません・・」

 

閑話休題、被害を受けている他者に対して救援物資や寄付金を送るという物質的支援だけに止まらず、「被害者の心に寄り添う」「平和を祈る」という「善意」に基づいた精神的支援も、人間として必要ではある。日本人の場合、それは「折り鶴を送る」という行為に代表されている。

 

しかしながら相手の意向も構わずに「善意」を一方的に送りつけるのは、日本国民の伝統芸能と化した観があるようだ。

 

まあ、常識から外れた数を送りつけるのではなければ良いとは思うが、個人だけでなく各地の児童生徒動員やら福祉施設やらから折り鶴が来たら、とんでもない数になるだろう。

 

この折り鶴は“平和の象徴”。どうせなら侵略を続けているロシアに向けて、彼らの始末に困るほど大量に送り付けてやればよかろう。それは「嫌がらせ」ではない、世界平和を願う日本人の「善意」に基づく伝統芸能の披露である(やっぱり嫌がらせか…)。

 

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