去る9/28エントリー、
<旧ドイツ軍の外国人部隊メモ>
(https://tafu1008.hatenablog.com/entry/2023/09/28/023108 )
そこで述べた非ドイツ人が構成員のドイツ国防軍部隊と武装親衛隊についての続きである。
そもそもWWⅡ当時のドイツ軍は正規軍である「ドイツ国防軍」とナチス党の親衛隊から派生した「武装親衛隊」の二つで構成されていた。その「武装親衛隊(Waffen SS)」とは元々はヒトラーの親衛隊員から成り、本来はナチス・ドイツのアーリア人種優性信仰とゲルマン民族優越思想を基に優秀かつ家系的にも純粋のドイツ人が志願入隊するエリート組織とされていた。
但し前も述べたように徴兵権は国防軍にあり、武装親衛隊としてはナチ党支持者や青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」などからの志願者に頼らざるを得なかったというのが実像である。
また軍事組織としての武装親衛隊はナチスのオリジナルではなく、原型は、ナポレオン1世が野戦の切り札として投入したエリート部隊『老親衛隊』(La Vieille Garde)である。
ナポレオンの親衛隊には、ポーランド人部隊、オランダ人部隊、エジプト人・トルコ人・シリア人・グルジア人などの混成部隊が存在したが、大戦末期のドイツ武装親衛隊約90万人の半数以上が非ドイツ人で構成されており、ナチスは外国人の編成までナポレオン流をコピーしたと云えるだろう。
ちなみにこの流れを汲むのが中華人民共和国の「中国人民解放軍」である。人民解放軍は中国共産党の軍事組織であって国家軍ではないが、中共は「愛国=愛党」という立場に立って国家軍同様の存在としている。一種のまやかしだが、中共と比べればむしろドイツ第三帝国の方が、国家軍=ドイツ国防軍と私兵軍団=ナチス武装親衛隊の二種類の軍隊があっただけマシかも知れない。
それはさておき、20年以上前にネット上で見つけた旧ドイツ軍の古い資料の中に珍しいものがあった。それが下の写真。
↓
最初の写真は1944年6月のフランス・ノルマンディー上陸作戦の折に米軍の捕虜となったドイツ国防軍兵士で、どう見てもアジア系である。
二番目は撮影場所・時期不明だがこれもアジア系のドイツ国防軍兵士の写真。
これらの兵士は上記エントリーでも述べたドイツ国防軍編制の「東方軍団(Ostlegionen)」とみられる。東部戦線で捕虜となったソ連軍兵士の中から反共・反ソ連の非ロシア系人を募り、民族毎に部隊編成を行ったものである。
その中で確認できるアジア系といえるのは、コーカサス地域のグルジア(ジョージア)人、アルメニア人、アゼルバイジャン人、チェチェン人、アブハジア人、クルド人やトルコ系の各民族。そして中央アジア~東北アジア系はトルクメン人、ウズベク人、キルギス人、タジク人、ウイグル人、モンゴル人、チベット人、シベリアのツングース系各民族である。
上記2枚に写っている兵士が元々どこの出身だったのか一寸調べたことがあったが、最初の写真の兵士については全く判らなかった。しかし2枚目の人々については断片的だが情報を繋ぎ合わせると驚くべき事が判った。
彼らは元々遊牧業のチベット人で何らかの事情によりソ連国境でソ連軍に捕まり、ソ連軍に強制入隊させられた羊飼い達であったこと。そして1943年頃に東部戦線に送られ、おそらく今のウクライナ~ベラルーシ地域でドイツ軍の捕虜になった。
前のエントリーで述べたようにドイツ軍はソ連軍捕虜の中から反共・反ソ連の志願者を募集し部隊編成したので、彼らチベット人たちはドイツ軍に志願し写真に収まることとなったらしい。
写真の彼らがその後どうなったかは不明だが、上記『東方軍団』の大多数はフランスに送られ訓練および治安維持の任に当たっているので、おそらくはノルマンディで連合軍と戦い戦死したか捕虜となったか。もしくは1945年4月のベルリン攻防戦まで生き延び、武装親衛隊に編入されて他の非ドイツ人兵士と共にソ連軍の包囲下で絶望的な戦闘を行ったか。
今となっては全く判らないが、このような数奇な運命を辿った人々が存在したという事は記憶に留めておきたいものである。
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