賭狂がゆく

港澳(香港、マカオ)往来28年、人生如賭博

極左テロリスト逃亡50年の末路

 

昭和49年(1974年)8月、当時中学生だった筆者はあの三菱重工業本社ビル爆破事件に衝撃を受けた一人である。同級生の中には親御さんが丸の内界隈に勤めている人が何人もいて、危うく難を逃れた方もいたからだ。

 

一連の企業爆破事件を仕掛けた狂信極左グループは自らを「東アジア反日武装戦線」と名乗り、無辜の人々を死傷させ世の中を恐怖に陥れた。

 

事件に関与した者たちは殆どが特定され捕まったが、唯一逃亡を続けていた者が昨日入院中の病院で名乗り出、現在確認作業が進められている。

 

産経新聞1月26日配信記事

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警視庁「寝耳に水」 連続企業爆破事件の桐島聡容疑者の確保劇 発生から半世紀の急展開

(https://www.sankei.com/article/20240126-G5BN6UVI7BJLNJ7M3Y7RI4DDIY/ )

連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄が、警視庁に確保された。昭和49~50年に起きた「戦後最悪の爆弾テロ」と呼ばれる事件は発生から今年8月で半世紀。過激派「東アジア反日武装戦線」の犯行グループの大半はすでに逮捕されたが、逃走を続けた容疑者は何を思い、どう身を隠し続けたのか。警視庁公安部は全容解明を急ぐ。(以下略)

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この「東アジア反日武装戦線」はマスコミ等への犯行PR文書の中で己らを『狼』と呼称していた。それに対して憤った私たち中学仲間は

「ふざけんな何が『狼』だよ、『猿』以下じゃねぇか!」

とか何とか罵っていたものである。

 

しかし記事によれば逃亡約50年の桐島は「末期がんで余命数カ月」「最期は本名で迎えたい」と話している由。結局、「死して屍(しかばね)、拾う者なし」(※)の覚悟もなかったか。

『狼』が聞いて呆れるわ。

 

(※) TV時代劇シリーズ 『大江戸捜査網』劇中に流れる「隠密同心・心得の条」の一節。

 

疑問なのはこの桐島が50年間、本当に一人だけで逃亡生活を続けていたのか?という事である。思うに逃亡を手助けした協力者や合法・非合法を問わない左翼組織が存在しているのではなかろうか。

 

日本赤軍重信房子が捕まった際も協力者の存在が判ったし、マスコミ等に露出している者の中にも同情的なのが結構いたので、中核派やら何やらの既存狂信左翼や自称リベラルのパヨクらはやはり怪しいと思わざるを得ない。

 

そして偽名で入院できたという事は、恐らく紙の偽造保険証を所持していたのではないか。すると様々な偽造身分証を製作している組織の存在も疑われるだろう。

 

マイナンバーや紙の保険証廃止に反対している連中が何故声を荒げているのか、この辺りから理由が見えてくると思うのは筆者だけであろうか?

 

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